魔界の海。
そこはあらゆる水棲の魔族が生息し、陸の魔族とは全く別の文化、全く違う言語を使う種族の集う広大な海。
魚人にタコ型の魔族、マーメイド……そしてそれらの食物連鎖の頂点に君臨する巨大なイカの下半身を持ち、サメの様にとがった頭にイッカクの角を生やし、クジラの一〇倍はあろうかという巨体の【捕食者】。
海のあらゆる生命を喰らい漂うそれは、かつてまで既存の生物全てにとっての厄災の権化そのものであった。
その捕食者の死骸が、突如東魔界の海岸に打ち上げられたという報せが魔界中に響いた。
死骸の発見者は、とある先代魔王の娘を探していたその娘の弟の出した捜索隊の一部隊。
捕食者の前では魔力、血統、力…そういった強さの基準すら凌駕し、あらゆる魔族を喰い、魔界の海中ではその姿と生態と強さから捕食者を信仰する種族が居るほどに強大だった。
それを裏付ける様に、捕食者の生息する海域には小魚すら居らず、それの周囲には捕食者に挑み敗れた者たちの無残な亡骸がふわふわと浮かんでいた。
そんな捕食者の死骸が約一〇万年ぶりに陸に打ちあがった。
報せに魔界中が震撼し恐怖した。
ある者は「何かの前触れだ! 」と言い、またある者はありえもしない陰謀論まで語った。
誰もが、その真相を知らずに。
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金属が、肉に当たり人型のそれは静かに底へ落ちていく。
プエルラを取り囲み敵意をむき出しにし、槍を構えるは身長一九〇cmはある魚人の群れ。
プエルラは知らず知らずのうちに、魚人の縄張りに入ってしまっていた。
言葉も価値観も違い、対話が不可能であれば起こることは一つ、命の奪い合いたる争いのみ。
口に空気を含みながら、不完全な魔術を以て応戦する少女。
「ガアア!!」
取り囲んでいた群れの中から鮭のそれに近い頭を持った個体が牙を剥き出し、プエルラに噛みつこうと一直線にプエルラに泳いで向かう。
すかさず、プエルラは向かってくる魚人に剣の弾丸を打ち込み、撃退する。
「ふん!」
水中で鈍く、頭蓋を貫通させた音を響かせ魚人は痛みに悶えながら奈落へと身を落としていった。
プエルラは周囲を見渡し、残りの魚人の数を数える。
武装した魚人の残るその数、二〇体。
プエルラの口に含んだ酸素も残り少なくなり、プエルラは魚人たちに向かい眼光を鋭くさせ、睨んだ。
それは、水中で言葉を話せないプエルラにとってできる、魚人たちへの最大限の警告だった。
あの洞窟で姿を隠し、自分の本来の力を取り戻すまで地上へは上がらないし、少女は上がらない。
今の状態で戻れば、テネブリス家の名に傷が付くことになる。
それだけは、プエルラは頑として避けたい。
故に、やすやすとこの場を離れるわけにはいかなかったのだ。
プエルラの正面に居る魚人の一体は、睨みつけられたことに憤慨した様子で相変わらず敵意を向け続けた。
そして、その場にいる魚人の集団はしびれを切らした様子で一斉にプエルラに襲い掛かってきた。
「がっ!?」
突進する魚人のあまりの速度に、プエルラは対応しきれず腹部に槍の一撃を喰らう。
槍の先端はプエルラの腹をいとも容易く貫き、そこから水中に赤い煙を上げた。
しかしそれに怯むこともなく少女は自身を攻撃してきた魚人の隙を狙い、魔法陣を展開し、剣を発射させる。
放たれたそれは魚人の頭部に命中し、槍を持っていた手の力が緩んでいくと同時にまた、沈んでいった。
その様子を見届けながら、取り囲んだ集団にでたらめに武器を射出させ、プエルラは呼吸の為海面へ頭を出そうとした。
足を不器用にばたつかせ、それでも必死に泳ぐプエルラ。
「プ八……はあ……はあ……」
海上を見渡しながら、息を整える。
すると、一直線上に海面を裂いていく、巨大な背びれがこちらに向かってくるのが見えた。
やがて、その背びれの主はプエルラの前で口を大きく開き頭を出した。
その頭は、クジラの様に大きく__サメの様に尖っていた。
「まずい……!」
プエルラは目の前に姿を現した怪物の正体を知っていた。
魔界に生きるものであれば誰もが知り、誰もが恐れる存在。
”捕食者”なのだと。
本来、誰であろうと敵うはずの無い圧倒的なる強者を前にプエルラは絶望を抱いたように、大きく瞳孔を開き眼を震わせつつもそれを自身の敵とみなした。
自分は、本来であれば死した身。
ならば、圧倒的な存在だろうと我が身に恐怖も絶望もありはしない。
ここで二度目の死を味わおうと、立ち向かわずして魔王の名を傷つけるよりははるかに良い。
なにより__自分はもはや”死ねない”のではない。
”死なない”のだ。
捕食者が口内をさらに大きく開きプエルラとの距離がわずか一m程となった瞬間、プエルラは捕食者の喉の奥を目掛け、おぞましいまでの剣の雨を射出させた。
捕食者は喉の奥からの突然の鋭い痛みからか、すぐさま口を閉じ巨大な尾ひれを勢いよく海面に叩きつけ、方向転換した。
そして血を吐き出しながら、捕食者はプエルラからどんどんと距離を離しどこかへと姿を消した。
プエルラがその様子をみて胸をなでおろした束の間、海中から何者かがプエルラの足を掴み再び水中へと引きずり込んだ。
呼吸も整っていない状態で、突然酸素を奪われ胸に何かがプエルラに突き刺さった。
痛みに体が乱反射し、前屈みの体制をとり魔法を使う。
ぼやけ暗くなってゆく視界に捉えたのは、先程まで戦闘を繰り広げていた魚人の一体だった。
魚人は自身より強い捕食者が現れたことで、一時岩陰に姿を隠していたのだ。
魔法陣から出現したのは、杖。
剣や槍、斧などの武器は魚人の群れと捕食者の撃退に全て使い切り、再展開させるには当てた”的”からの自然消滅を待つほか無い。
しかし、プエルラに再展開を待つほどの余裕はなかった。
プエルラは歯を食いしばりながら無理やり杖の先端を魚人の眼球に全力を以てねじ込み、胸への攻撃の応酬を与えた。
魚人は言葉にならない叫びをあげながら、プエルラの胸部に刺さった槍に力を加えた。
力が加わった瞬間、プエルラの耐えられる痛みは許容できる範囲を超え、プエルラの視界と意識はさらにかすんでいく。
小さな体躯から血液をあらゆる傷口から吐きだし、こと切れかかった命を示す様にプエルラの角は、更に白くそまっていった。
腕は動かせず、ましてや呼吸すら不可能。
だが、プエルラの意識はまだ有った。
海中に刺された槍を支柱に四肢、胴体を力なくふらりとたゆたわせながら、まだ動く首を動かし魚人をにらむプエルラ。
その眼は、血を孕んだが如く深く、暗く__紅に燃えていた。
魚人は、その眼に戦慄した様子で槍をプエルラの胸から引き抜き、背を向けて逃げ去って行った。
魚人が逃げ、プエルラは残された力を振り絞り周りを見渡した。
すると、プエルラから見て南西に、島がぽつりと存在していた。
「……っく、あそこへ向かうしか無いか」
プエルラは、ゆっくりとその島に向かって泳ぎ始めた。
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