僕は、彼女に会うまでは遊びを知らないと呼ばれる程、真面目に家業をしてきたつもりだ。
けれど、はたを織る様の、美しい彼女が僕を、癒してくれた。
壊れかかった、人としての心が癒えていくような気がした。
生きる意味を、知った気がした。
――彼女との仲を、引き裂かれるまでは。
嗚呼、天の川の岸に、彼女の愛おしい姿が見える。
×××今も羽ばたくアルタイルの記録
私は、はたを織る事以外に物を知りませんでした。
父上の言いつけ通りの毎日を、星空の中で過ごし、これからもずっとそうなのだと思っていました。
星の土に塗れながら、牛を追う彼の姿を見ていく内、私は胸の高鳴りを知りました。
やがて縁は結ばれ、晴れて互いの愛の時間を得られたのです。
――少々、他の人には長すぎる時間だったみたいですが。
今夜は、カワサギが橋になってくれると良いのですがね。
×××今なお鳴り続けるベガの記録
さて、今夜は七夕――――しちせき、とも呼ぶ行事ですね。
七夕は元は中国の乞巧奠(牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)の二星が天の川を渡って一年に一度の逢瀬(おうせ)を楽しむ、という伝説。男女の名前こそ星とは繋げられていないが、ほぼこんにちに至るまでに伝わる話と同じ)
をジャパナイズド、日本流の文化として吸収した物です。
こんにちは、ろーぐです。
今回は七夕の歴史と雑学について、ご紹介していきたいと思います。
日本における七夕の歴史は古く長く、持統天皇(在位686~697)の在位していた期間には、既に文化行事として取り入れられており、その頃は飛鳥時代の中でも、大宝律令が作られる時期より前にあたります。
また、奈良時代から貴族の祭事として行われている、という説もありますが、それはさておき、1000年以上前から現代まで伝わっている、というのはなんだか、時空と歴史のロマンを感じませんか?
そして、元ははた織りや裁縫が、天帝(古代中国における神。ギリシアのゼウスや北欧のオーディンのような立ち位置)の娘である織女(日本では元から居た女神と同一視された)にあやかって上達するように、その力を授けてもらおうというイベントだったのです。
抗菌作用のある笹(主にジエチルエーテル抽出物や酢酸エチル抽出物が含まれていて、これはブドウ球菌や大腸菌に対して効果があり、食中毒を防ぐのに役立つ)は、古くから人々の生活に欠かせない物の一つだったようで、特に食べ物などが腐りやすい夏(昔の暦でも7月は暑かったみたいです)は、防腐剤代わりとして使用されていて、現に今でも、笹の葉で包んだ料理が存在します。
5月の話にはなりますが、粽を食べるのは、無病息災を願う行事として今に残っているのですが、これも中国の逸話から来ています。
さて、笹の葉に短冊を、まるでクリスマスツリーのように飾り付ける習慣がありますが、これは精霊が宿る依代の意味合いがあり、五色の短冊は中国の五行説に基づく五色に由来しています。
また五行説とは、時折風水占いでも聞く方がいらっしゃると思いますが、古代中国における世界観の考え方で、元素属性に似た物です。
ざっくり言えば、水、火、金、木、土の五つから自然の全ては生まれているという考え方となります。(東南西北や性格属性(陰陽等)の概念、時計回りに並べた時、互いに向かい合ったものがじゃんけんのように相対する相克の思想、また隣同士は助長しあう存在とする相生の関係なども追加されていった)
それらの属性には、五常(悟ではないし闇も祓わない)――つまり、人の守るべき五つの道徳、教えが含まれています。
心技体に似た、、教え、哲学。儒教を調べて居れば、よく聞くものでもありますね。
仁(仁義。人を思いやり、優しくあること)義(義理や筋。私利私欲に呑まれず、人として正しい生き方をすること)・礼(礼儀。社会での上下関係を円滑にするための礼儀作法)・智(智慧 智徳。学問に励み、知識を得て正しい判断をする力)・信(確信約束を守り、常に誠実であること)
が含まれています。
短冊はそれぞれ、青か緑は木、赤は火、黄は土、白は金、黒や紫は水を表していて、これらを上の願いを天に届ける、という事が残って五常説と照らし合わせて考えられ、今の文化として残っているのです。
短冊で対応した物を挙げると……
仁 青、緑。 人の為に自分を磨くような優しい願い事に相応しい。
義 白。 約束や規則を守れるように、と願うのが相応しい。
礼 赤。 上司や親といった目上の人の感謝が届くように願うのが相応しい。
智 黒、紫。 学業関連での成功を願うのが相応しい。
信 黄。 人間関係の願いに相応しい。
ところで仏教の法会の一つ、施餓鬼にも色の付いた札で、偉大な精霊や仏の、五行の力を借りて人の幸せを祈るという文化もあり、古来から五行には不思議な力があると信仰されているみたいです。
私はここにも人同士の、幸せを願う素敵な、脈々と受け継がれつがれる社会の絆が、こうして信仰を呼び、現代に文化とさせているようにも感じました。
上記でクリスマスツリーと書きましたが、伝統的、ステレオタイプな飾りとなると 赤は十字架にかけられたイエス・キリストが流した血、あるいは神の愛の象徴を表します。 白は雪・純潔、緑は、常緑樹に代表される永遠の命や生命を表しているそうです。
聖なる神の力を宿したものを、身近な木に飾って祭事を行うという点では、似ていませんか?
皆さんは、叶えたい願いはありませんか?
もしよろしければ、当ブログ記事に、コメントを書き残していってください。
ネットは、この現代において最も身近で、短冊にもなり得る木であり何本にも枝分かれした先にある葉だと思うのです。
当ブログは、さながら枝分かれした末端の葉っぱに過ぎないかもしれませんが――それでも、皆様に楽しんでいただけるようなものでありたい。
こんな素敵な夜ですから、私も一つ、祈りましょう。
作家に幸あれ。
それでは。
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