不可解なるヒサルキの真実一/二

 ≪とある保育園にて、モズのはやにえを彷彿とさせる動物の変死体が見つかった。≫

 これはとある掲示板で書かれた、体験談の一部分である。

それに続くように、掲示板で酷似した怪事件、あるいは関連を思わせる体験談が語られていった。

 掲示板の詳細は二〇〇三年に遡る。

ネット掲示板、ならびにコンピューター関連技術の一般普及黎明期ともいえるその年は、様々な事柄が語られていた。

 内容は某野球選手の記録が大々的に書き込まれていたり、大手電化製品店でカード支払いの導入等。

TVから報道されるような普遍的なニュースから、くだらない下世話な会話まで書く、自由な発信の場としてそこは確立した。

黎明期という事もあり、今となっては珍しくない無線LAN内蔵式パソコンというものすら持っている者は少なく、携帯電話も普及しているのは所謂ガラパゴス携帯ばかり。

そんな時代だっただけに、掲示板の利用者は現代と比較してごく限られていた。

 某掲示板、同年にあるスレッドが立てられた。

≪最近、保育園で、保母さんをやってる友達に聞いた話。≫

スレッド主曰く、話しの舞台となる保育園は寺が経営している保育園で、その近所には墓地があったという。

 墓地は、子供がいたずらをしないように柵がつけられており、柵の先端は尖っていた。

その先端には、虫や蜥蜴などの小さな生き物が突き刺さっていることが良く見られたという。

それはモズなどの鳥の仕業か、あるいは近場の広場によく集まっている小学生達の所業であるということで、当時の保母含む近隣住民は誰一人として気に止めていなかった。

 突き刺さるのは虫なんかの掌に収まるような大きさの生き物だけだったのが、ある日、柵の先にモグラの死骸が貫かれていた。

今回刺さっていたのが小型とはいえ哺乳類であることには変わりないので、死骸は発見された際に保育園の園長が報告を受けて処理した。

モグラの変死体の発見からしばらくして、また同様の死骸が見つかる。

今度の死骸は、モグラより大きな哺乳類―――猫の死骸だった。

 その無残な様に、発見された際には保育園の保母や、寺の僧らが集まり――”誰”の仕業か、どう対処したものかという話になった。

結論として、犯人は特定できないで、再発防止の策も見つからず。

そうして、時間だけが過ぎていった日。

猫と同じく、柵に兎が突き刺さっていた。

兎はスレッド主の友人である当時の保母の見たところによれば、兎は保育園で飼育されていた個体だったという。

早朝に、僧が掃除をしていた時―――兎の死骸は、見当たらなかったにも関わらず。

 その日、たまたま柵の近くに先に居た園児に、保母は訊ねた。

「何か、見た?」と。

園児は、答えた。

「『ヒサルキ』だよ」

聞きなれぬ言葉に、困惑しつつも保母は周りの園児にも同じくヒサルキについて聞き回った。

 しかし、保育園児という幼さからか、「ヒサルキってなあに?」と訊ねても皆上手く説明できずにたじろぐ。

だが、確実に園児らは一貫して――『ヒサルキ』を知っている様子だった。

それでも、言葉による説明はできずにいた。

 兎が死んだことに関していえば、かわいそうに思わず、醒めた様子で”しょうがない”といった態度だったという。

まるで、事故が起こった後のように。

 保母曰く妙だと思ったのは、その園児らの親は『ヒサルキ』について何も知らなかった事。

子供達がそんな言葉を使っているところも、誰一人として覚えておらず、当時のTVや本にも出てこないものだった。

 保母が困り果てていた時、同僚の保母の一人が「昔そんな絵を見たことがある」と言ったのだ。

言いだしたは良いものの、肝心の例の絵は園児に返してやるものだったので保育園には残っていなかった。

しかし、その絵を描いた子供は同僚の保母の家の近所だった為、子供の名前を憶えていた。

 「その子に聞いたら…………」と保母が言うと、子供を知る保母は「引っ越した」と返す。

そして、「その引っ越しの様子が変だったので、よく覚えてる」と続いて同僚は言った。

なんでも、挨拶も無く急に引っ越していったという。

さらに―――引っ越した際に見たときには、その絵を描いた子供の両眼には、眼帯が巻かれていた。

 結局のところ、『ヒサルキ』と呼ばれる存在については何もわからずに、スレッド主が質問を投下する形で、スレッドは終わる。

また、このスレッドが立てられる前に、この『ヒサルキ』に酷似した響きの『ヒサユキ』という男の名が出てくる怪談が投稿された。

 投稿日は二〇〇一年、六月の事である。

その凄惨たる体験によって、投稿主の女性は精神を病んでいた時期があったという。

 体験は、投稿主が大学生時代にまで遡る。

スレッドの投稿主は、霊障や霊視の症状が現れる程に霊感が強く、生きた人間と遜色ない姿ではっきりと見える。と語った。

特に、一人でいるような霊は生者との見分けがつけづらく、それによって体調を崩す事もあり本人も困り果てていた。

しかし、投稿主が大学生となると、所属するバンドのサークル活動に精を出すことが多くなり、社交的な生活を送るようになってからというもの、それに従って霊障体験は少なくなっていったという。

 ある日、バンドのサークル仲間と共に合宿を行う事となった。

合宿というのは便宜上のもので、内容としては単に―――海辺へ泊りがけで遊びに行くという物だった。

 投稿主にとって友達と初めての体験ということもあり、心持ち弾ませ楽しみにしていた。

 そして来る当日、天候にも恵まれ、投稿主は三台の車に分かれて目的地へと出発する事となる。

車内では会話も弾み、楽しい雰囲気に包まれていた―――が、ふと、車にかけていたCDの曲が気になり始めたという。

アルバム形式のはずだというのに、投稿主にとっては同じ曲がループしているように聞こえていたのだ。

 無機質なシンセ音が鳴り響き続け、投稿主が気分を悪くしていると、その様子を察した友人に声をかけられた。

「酔ったの?」と聞かれると、投稿主は気分の悪化を訴え、友人にCDデッキを確認してもらうと、「そんなことないけど」と返ってきた。

であるのに、曲は同じ曲を相も変わらずループしており、恐怖を感じたという。

 熱海に到着すると、投稿主は友人たちと海で遊んだ。

遊び疲れ、休憩がてらに主が海近くのベンチで休んで水平線を眺めていると、眩暈を感じたので車の中へ入ったという。

その後―――≪良くない夢≫を見たというものの、内容は覚えておらずただ、目が覚めた時には投稿主の体には水を被ったかの様に汗がシャツに染み付いていた。

投稿主の身には全身の倦怠感が襲い、不調の数々によって鬱屈とした気分に駆られた。

 折角の、楽しい外出を妨げられたようで。

 その後に、宿泊先の民宿へ向かい、そのころにはどんどんと体調が悪化し、友人との会話もあまり楽しめず、窓の外ばかり眺めていた。

車を民宿から少し離れた、駐車場へ止めて。

民宿へ到着すると、投稿主の体を―――悪寒が抜ける。

民宿の玄関前まで行くと、その感覚は次第に耐え難いものへと変わっていった。

 曰く、泊まる建物の横には大きな小屋のような建造物があり、そこから視線のようなものを感じていた、という。

主の目視したくない、という意思に反して――その建物を、視ずにはいられずにいた。

 すると、二階の窓から誰かが覗いていることに気が付いた。

パッとみたところでは、覗いているのは男性の影。

しかし――――――その影は青白い光を輪郭に纏わせており、窓枠から壁まわりを通して、その影の体全体が見えていた。

投稿主は悟った。

「人間ではない」と。

その影の視線は投稿主をずっと刺しており、歓迎されていない様子がひしひしと伝わった。

 とうとう、投稿主の精神は限界をきたし、急遽友人に別れを告げ、近くに駅があるということを聞き近くの人に電車のある駅まで送ってもらった。
 
逃げる様に、電車へ乗り込むと―――電車の中でも、何者かの刺す様に睨む視線が投稿主に向けられ続ける。

またしても、ここでうなされてながら寝ていたところを、隣に座っていたおばさんに揺さぶられ、投稿主は目を覚ました。

「駅に着いたら、病院へ行くように駅員さんに伝えようか」と提案されたが、主は一刻も早く帰りたかったため断った。

 駅に着いたら、投稿主はタクシーを利用し自分のアパートまで帰ったという。

部屋に着くなり、主はお香を焚き玄関に盛り塩をした。

食欲はなく、流れ込むようにベッドへ投稿者は入っていった。

 さて、ここまでの怪奇現象を聞けば、誰しもが単なる心霊的な怪談であろうと思う筈である。

しかし、ヒサユキと呼ばれる存在が語られる時―――話の雰囲気は一転する。

 ところで、ここで私事になって申し訳ないが、私の家の玄関先でなにやら野良犬どもの鳴き声が聞こえてきている。

最近は、野良犬の一匹も見かけないので騒音に関しては、安心しきっていたので少々意外ではあるが、外の様子を軽く見てから続きを後日綴るつもりである。

声は部屋の壁越しに聞こえる程に大きく、吠え方がまるで死の間際の断末魔のようで、私も段々と腹が立ってきた。

それでは、また語ろう。

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