突如として目の前に現れた悪魔。
周囲には逆十字型に磔にされた瀕死の怪物達。
床に溜まり、滴るは赤黒い液体と、悪魔が切り落とした二つの首。
シトリーは、爪を舐めてただ棕をじっと見つめる。
その眼は、獲物を見定める獣のそれだった。
「ねぇ、君生きて出たい? 出たいよね~、人間なら」
シトリーが嘲笑いながら言う。
棕はシトリーを強く睨み、言葉を返した。
「それは、お前が決める事じゃない。うちが決める事だ」
「……………ふーん? 随分余裕じゃないの」
瞬間、シトリーの目が妖しく洞窟内で光を放ち始める。
その様子を見たアムドゥシアスは、棕の肩を掴み囁いた。
「すぐに逃げた方が良い! シトリー様はあなたを殺す気ですよ!」
焦った風に、早口で語るアムドゥシアスを無視し、棕は正面のシトリーを煽る。
「ロックの基本原則は、強く自分を表現する事だと思ってるんでね。お前が来るんならうちも立ち向かうよ」
棕がシトリーへ微笑を浮かべて勝気に言い放つと、シトリーは牙を輝かせた。
「じゃあ、その基本原則とやらがどこまでもつか……………試してやるよ」
シトリーの翼が広がる。
それと同時に羽根の舞う洞窟の中で棕は、歯を食いしばった。
シトリーにあくまで、抵抗の意思を見せ続けていた。
「さっさと逃げましょう! 棕!」
アムドゥシアスが必死に、棕の背中を出口の方角へ引っ張るが、棕の体は一センチたりとも動かず――瞳はシトリーを向いている。
「ここで逃げて、こいつほっといたらきっと、なんかしらの悪事をしかねない。なら、うちがここで確実になんとかしないと。付き合いな、アムドゥ!」
棕がアムドゥシアスの体を掴み、念じると――アムドゥシアスの体はエレキギターの形へと変化した。
「へぇ、音楽好きのお前らしいじゃん。アムドゥシアス!」
シトリーは、アムドゥシアスの変化を見て姿勢を低く構えはじめた。
「さぁ、秘密の地下LIVEといこうじゃんか!」
棕は対して、エレキギターへ変化したアムドゥシアスを握り、手に付けたピックで弦を力いっぱい弾く。
ギターから奏でられる音は、洞窟内に反響し、シトリーの脳内を強く打ち鳴らす。
その音による衝撃は、棕の目の前の全てを震わせていた。
「ぐあっ……なんて音だっ………………アタマが……………壊れッ―――!」
音色は、体内で最も柔らかな部位である、脳髄を容赦なく崩す程の振動を与え。
旋律を理解させ、伝えられる肉体にしまわれた内臓は、全てが反転し、内側から鈍く――連続した痛みが襲う。
シトリーにとってそれは、経験したことのない想像を絶する苦痛だった。
棕はそれを気にすることなく、弦を引っ掻くように、乱暴ながらも曲として確立された音を奏で続ける。
「これはね、人間以外が聞くと凄いダメージになるんだってさ。お前にはおあつらえ向きっしょ!!」
棕が弦を掻き、弾く度に、音が反響する。
逃げ場のない魔力の籠った音がシトリーを襲っていた。
「くっ……………ふざける………………な!!」
耳を抑えるシトリー。
しかし、音とは即ち振動。
振動は抑える手からも伝わり、尚も脳内を攻撃し続ける。
「まさかあたしっちがここまで人間風情に追い詰められるなんて……………ね!!」
刹那、シトリーの動きが高速化する。
「まずっ――!!」
音速を超える速度で、迫りくるシトリーに棕はただ弦を強く鳴らし続ける。
鳴らし続ける他、無かったのだ。
「くたばれ!」
シトリーの振り上げられた爪は、棕の眼前をすり抜け紙一重で棕が交わした。
そして、その爪は棕の眼帯を切り裂いた。
体を仰け反らせて躱し、洞窟内の構造を利用し跳ね返るように飛び掛かるシトリーに、ギターの音を放ち一瞬一瞬怯ませ、距離を取る。
「残念だったね。アムドゥシアス! まだいける?」
棕がギターに目線を落とし、語り掛けると声が返ってきた。
「やれやれ、結局危ない目に逢ってるじゃあないですか」
「いつもの事だろ! チューニングアップだ!」
棕はエレキギターに付いたつまみを勢いよく捻る。
「さて、今回はどんくらいもつかな………………喰らえ!」
「何をいじったかは知らないけど、今度こそあの世へ逝け!!」
シトリーは全速力で距離を詰めた瞬間――。
凄まじい轟音が、シトリーの全身を打ち砕いた。
「ぎゃあああああ!!!?」
「これが、うちらの最終兵器って訳!」
洞窟の中に、反響した音はやがてシトリーの背後の逆十字をも倒壊させた。
倒壊した逆十字は、パズズやテュポーンの体、アスモダイの体を解き放っていった。
シトリーが身動きすらとれないままに、その場で呻きながらもがいていると―――天井の巨大な鍾乳石がシトリーの頭上に降り注ぐ。
巨大な振動が、鍾乳石を壊していったのだ。
「くそっ! くそっ! くそお!!」
もがくことをやめ、頭上を襲う鍾乳石を砕こうとすれば音の直接的な打撃が。
もがこうとすれば、鍾乳石が身を貫く。
音と物理の二重苦を前にシトリーはただ、あがく。
「おのれ………………お前のその不快な音さえ――!」
感情に囚われ、焦燥と激昂に身を突き動かしたが最期。
鍾乳石が翼の付け根を貫き、十字の巨大な台が足に倒れかかった。
「ばかな………………!」
「うわ……………えぐっ」
棕がその様を見て、演奏を止めるとアムドゥシアスの姿は元の形へ戻った。
棕はシトリーに歩み寄り、地に突っ伏したシトリーの方へしゃがみ込んだ。
「ぐ……………何をしている人間!! お前なんて――!」
怒りのままに、シトリーは手を伸ばし、地面を引っ掻く。
しかし、爪は棕に届かず。
棕は下に落ちている眼帯を拾い上げ、頭に締め直すとため息をつき、シトリーに話しかけた。
「ねぇ、一つ提案があるんだけど」
「……………お前さ、会心してくんない?」
「な! 棕!!」
アムドゥシアスが再び止めにかかるが、棕はシトリーの頭を撫で語り続けた。
「なんとなくだけど、あんたうちと似た感じがするんだ」
「弱った生物として、情けをかけるつもりか……………ぐぶっ!!」
血反吐を吐き、シトリーは眼光と指を鋭くさせる。
「かもね。でもさ、うち思うのは……………悪魔も人間もそう変わんないんじゃないかなって」
「音楽が好きなのも、好きな服を着るのも、性別に囚われないのも全部。人間も一緒だって」
棕の声色は、先ほどまでとは打って変わったものだった。
「今だから言うけど、うちの演奏はアムドゥシアス以外の人外にダメージを与えるって話だけど、任意で威力も調整できるし、苦痛を与えるだけで命は絶対に奪えないんだ」
「……………だから、やり直そうぜ。悪魔って、傷の治りが早いし、お前の罪滅ぼしはこれから長い事やってけばいいしさ」
棕は、シトリーの髪をしきりに優しく撫で続け、説得を試みる。
「黙れ、弱点を晒しただけで信頼ができるとでも? このあたしが?!」
シトリーが怒鳴ると、洞窟内が激しく揺れだす。
「な! 戦いの衝撃で崩れたか!」
「はめを外しすぎですよ! 棕! 今度こそ逃げますよ!」
それを聞いて、棕はシトリーの体に突き刺さった石を引き抜くべく――上へ持ち上げた。
「棕! 何助けようとしてるんですか! シトリー様は極悪非道の――!」
「うるせぇ! どんな前科持ってようと死にかけてるやつをほっとけるか! アムドゥも気絶してる魔族のお偉いさん抱えろ!」
棕の勢いに根負けした様子で、アムドゥシアスは気絶している魔族を魔術で浮かび上がらせ、出口へと持っていった。
そして石の先端が抜けた瞬間。
「愚かだな! 死ね―――!」
シトリーが棕に躍りかかる。
が、束の間。
崩落した洞窟の天井に押しつぶされ、岩雪崩の直撃を受けていった。
「………愚かなのは、どっちだよ」
やるせなさを、唇で噛み締め棕はアムドゥシアスと共に階段へ向かっていく。
壊れ崩れていく壁画と空洞に、唯一つの肉体をのこして。
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