ユンガに送ってもらい魔界から帰り、快はホテルの入り口に立っていた。
(残り二日か)
快は手元の二枚のカードに目を落とす。
(確か、八岐大蛇とユンガさんが入ってるんだったか………いや、待てよ?)
快はカードをポケットにしまい込み、歩みを進める。
(アイネスは、どうやってこっちに来るのだろう)
そう思いながら、ホテルを離れる。
周辺の街並みを呆然と見上げ、快は足を動かしていった。
「ねぇ、答えは出た?」
背後から、声が聞こえる。
その声は、聞き覚えのある声だった。
「うわっ! アイネス君…………いつからそこに居たんだよ」
「さっき、強い魔力を遠くから感じたから、追ってたらここに着いたの」
相変わらず、無機質にアイネスは言う。
「強い魔力……………? 僕にそんなのは無いはずだし……………」
「それ、悪魔の入ったカードだよね。契約したの?」
そう聞かれ、快は手にしていたカードに目を向ける。
「あっ……………」
「やった、じゃあ僕ら仲間だ」
アイネスは微かな笑みを浮かべ、手を伸ばす。
「どうする? まだ迷ってる?」
小首をかしげ、アイネスは快に問う。
快はアイネスの方を向き、返す。
「………よし、じゃあ手を組もうか。正式に」
快は、差し伸べられた手を握る。
「嬉しいな、たった一人で心細かったんだ。賢い判断をしてくれてありがとう」
アイネスは、この時初めて、快に感情の籠った笑顔を向けた。
その瞬間、快の体に背後から何かを放たれた。
「へっ…………?」
快が伸ばした手は、網状の何かの隙間に挟まっている。
快の体に絡みついた”何か”の正体を、快自身が把握する前に、何かは快の体を拘束し縛り上げた。
アイネスは、快の背後に居る者を前に唖然としていた。
「ぐっ…………なにこれ? 粘ついてて………動けない!」
体に絡みついたものをよく見ると、それは巨大な蜘蛛の糸の様だった。
しかし、蜘蛛の糸と呼ぶにはあまりにも形状と色が快の抱く蜘蛛の糸のイメージと大きくかけ離れていた。
それは、描く模様は蜘蛛の糸のようであるが、蛙の舌の様に弾力があり、糸の表面は猫の舌の如くざらついている。
快は必死に糸からの脱出を試みもがいた。
だが、快がもがけば、もがく程にざらついた糸が肌に当たり、やすりの様に薄い皮膚や服の繊維を破いていった。
そして、糸に付着している粘液のようなものが、破けた皮膚に染み込んでいく。
アイネスはその様子を見て、快の背後に立つ者に言う。
「…………言ったじゃないか、この人は止めてって」
快が後ろを向くと、快の顔面は蒼白に包まれる。
後ろに居たのは、バエルだった。
「あの時は、止めろと言った。私はそれに気が乗ったから応えただけでな。今はこのような魔力の塊となっているのだ、もはや我慢など不要」
「………お願いだ、それに僕の目的は銀髪の怪物を倒す事。君の目的もそうだし、味方は多い方がいいじゃないか」
説得も空しく、アイネスの体はバエルの右手から放たれる糸で以て返される。
「黙れ、私が何故凡夫の肉を喰らっていたかを忘れたか。一つは人間どもの駆除。一つは強化の為だ」
「人間の肉と魂を喰らえば、食った人間の魂に刻まれた強さが我が魂に引き継がれ、私の身体、私の魔力が増幅されていく」
「それが、我が能力………このバエルにのみ備わった力だ」
バエルは背中から一気に八本の脚を飛び出させた。
その脚は、蜘蛛のそれに近く、その先は蛙の手が伸びており、指には獣の様な爪が生えていた。
伸びた脚を、更に広範囲に伸ばし、バエルは街の周囲を行き交う人々の体に突き刺していった。
「この私に、命令をしたなどど思わぬ事だ。主にでもなったつもりだったか小僧」
遠くから聞こえる、阿鼻叫喚。
バエルは高笑いしながら背中から伸びる脚を高速で戻していく。
「だずげで…………」
「じにだぐ……………ないっ………」
「嫌だ! 止めてくれ!」
あるものは、首を刺され、またある者は腹部を貫かれ、頭を貫かれ、脚に突き刺された人々は致命傷寸前の状態となっていた。
快はその光景に、涙を流していた。
「止せ! 止めろ!!」
絶叫に近い、張り詰めた声を上げる快の足をバエルは軽く蹴り、転ばせた。
転ばせ、芋虫の様にもがく快の体に足を置くバエル。
「よく見ておけ、これが…………”悪魔”だ」
バエルが背面の脚を空中に振り上げると、血しぶきの雨と共に人々の体が空を舞う。
地面目掛けて落ちていく人間達。
地面に落ちて死ぬことすら許さず、バエルは背中を曲げる。
すると、バエルの背中の肉は穴の開いた袋のように肥大化し、人間達を一人残らず捕えていった。
そして―――袋の穴が閉じられると骨の砕かれる、”肉塊”の音が鳴る。
「…………リビビ………キシャ………チチチ」
首を小刻みに動かし、奇怪な鳴き声の様なものを放ち、バエルは快に置いた足を離した。
「ひっ………」
快は、糸の中で手に持っていたカードを掲げる。
しかし、バエルはすぐさま右手から糸を繰り出し、カードを取り上げた。
カードを取り上げられ、快は全身を脱力させた。
絶望が、快の体を蝕んだのだ。
「これは取り上げさせてもらおう、私は、些細な抵抗すら許さん主義でな」
カードを握り、バエルは目の前でそれを飲み込んだ。
「バエル、こんなのあんまりだよ。僕たちは利害の一致で………」
アイネスは、バエルに語り掛ける。
笑みを浮かべ、バエルはアイネスの体に絡みついた糸を引っ張り上げた。
「では、いつから味方となったと私が言った? 人間なぞの為に、私が働くとでも? それと、その小さなカードに書いた筈だぞ?」
バエルはアイネスの懐からカードを取り出す。
「………”汝は契約の下、我が力を得るだろう。しかして心せよ、我は汝が隷従を示し続けぬ限り、我は災いとなり続けん”とな」
「…………力が、どうしても欲しかった。だからあの時、バエルと契約したんだ。あの時、バエルに出会わなければきっと別の悪魔と契約してたよ」
「どういう事? アイネス!」
快は身をよじらせながらアイネスの側へ寄る。
アイネスはただ淡々と、語り続けた。
「僕が、ここで遭遇した最初の悪魔がバエルだったんだ」
「最初はすぐ殺される筈だった。でも、バエルが銀髪の怪物を追ってると言って、食べらかける前に僕もそうだって言ったんだ」
「だから、僕は屋敷に招きいれて、本棚の中にあったカードを使って任意契約を結んだんだ。…………まぁ、他の悪魔だったらもっとましな内容だったろうけど」
アイネスの言葉は、後悔の念が自然と読み取れるものになっていた。
「愚か、実に愚かしい人間だろう。肉体がほぼ死んでいるにも関わらず半霊の様になり、挙句悪魔と契約を結び牙を剥かれて今更懺悔などな!」
アイネスを嘲笑う、バエル。
快は、嘲笑うバエルに向かって怒号を上げる。
「バエル!! 僕はお前を絶対に許さないぞ!! 周りを傷つけて! お前にすら縋って生きようとした人間に、こんな仕打ちをするお前なんて!」
「おぉ、だからどうした。許さないからって今の現実を見ろ、私の糸は燃えないし、弱る事もないのだぞ?」
そうしていると、バエルの背後で発砲音が響く。
「う………動くな! 警察だ!」
バエルの周りの交差点は、一面パトカーで包囲されていた。
「人質を、解放しろ化け物!」
悍ましい姿形のバエルに、拳銃を向ける手を震わせる警官。
「人質? ではないな。これは私の食事だ、それとも前菜となることを望むか」
バエルはアイネスを片手で放り投げ、不敵な笑みを浮かべる。
放り投げられたアイネスに、快は叫ぶ。
「アイネス!!」
アイネスはただ、無表情だった。
「これから、どうしようもない現実を見せてやろう」
方向転換し、バエルは銃弾の嵐を何事も無いように受けて進んでいく。
「なんでだ!? 銃弾が全く効かないぞ!」
バエルの真正面に立つ警察は、いよいよ弾切れを起こし拳銃の引き金を何度も引く。
が、銃弾は出てこない。
拳銃を向け続ける警察に、バエルは銃を持つ警察の手を右手で薙ぐ。
すると、拳銃を構えていた警官の両手は、握ったままに断面から赤い液体を漏らしながら飛んでいった。
警官が両手を失った事を認識する前に、バエルは右手を警官の腹に突き刺す。
「小細工で武装した程度で必ず殺せると思うな」
突き刺した手を、バエルは体内で開く。
警官の体は、その場で弾けとび、その場で肉片として降り注いだ。
「わああ!!」
その様を目撃し、バエルから三m離れた先の警官たちはパトカーに乗りこんでいった。
パトカーを走らせ始めると、バエルは糸を飛ばす。
飛ばした糸は、巻き取るようにしてパトカーのタイヤに絡んでいった。
糸が絡み、動きを停止するパトカーに、思わず運転する警官は窓から後ろを見る。
その先には、小さく瞳に映るバエルの姿が在った。
「糸を出してやがる!」
バエルは、パトカーを捕えた糸を振り上げる。
パトカーは高速で地面から離れていき、やがてバエルの正面に建つビルの巨大モニターに叩きつけられた。
爆発によって、モニターの破片と、パトカーの形を構成していた部品が炎に包まれ雨あられのように落とされていく。
揺らぐ炎を背に、バエルはアイネスと快の方へ向く。
「なんで、なんで…………お前のせいで街が…………」
右手の爪の血を舐めとりながら、バエルは当然のようにして言う。
「誰の許しを得て、貴様らは繁栄してきた? 我らの許しなく建てられ、栄えることなど言語道断。蹂躙され滅ぶが良い」
快は、バエルを睨んだ。
「黙れ! 僕ら人間は、お前達の物じゃないんだぞ!」
バエルは、右手の爪を構える。
「さて、どう喰われたい? その薄っぺらな頭蓋を噛み砕かれ、脳を舐られ啜られ果てるか、足から喰われじわじわとこの世の景色に別れを告げるか、選ぶが良い」
快が目を瞑り、爪を振り上げられた瞬間―――。
「じゃあ、この世に別れを言うのは僕が先だね」
アイネスは、バエルに向かって指先から氷の礫を発射した。
氷の礫は、バエルの爪に当たり砕けていく。
「…………なんのつもりだ、アイネス」
バエルはアイネスの方を振り向く。
「もう、うんざりだよ。君の為に犠牲になっていく人を止められないのも、犠牲にさせていくのも」
快は地面に這いつくばり、アイネスに寄ろうとするが一歩も動けずに居た。
「アイネス! 無茶だって! 止せ!」
声を聞いてなお、アイネスの指からは氷の魔術が放たれる。
「僕は、嫌になったんだ。滑稽だろ快、僕はこんなやつにすら頼って、こんな大変な事にしてさ」
「アイネス、あと一発は許そう。一発を向けたら私の手で直々に手を下してやる」
バエルは快を置き、アイネスに爪を構える。
「っく………化け物め!」
瞬間、ポケットの小袋は糸のやすりに擦れ続け破れ、中身が零れだす。
(………この宝石たち…………そうだ!)
宝石を見て、ソロムの言葉がよぎった。
快はその中で緑の宝石を指輪にはめ込んだ。
そして、指輪を構え念じた。
「一か八か、この状況を何とかしてくれ! いや!してやるッ!! 何も僕に怖いものなんて無いんだ!!」
叫ぶと、指輪はそれに応えるかのように緑色の光を放つ。
アイネスに、バエルの右手が振り下ろされる時。
刹那、真空波がバエルの爪を切り裂いていった。
「―――何!!?」
血走った眼を、快に向ける。
快は、糸から解放されており、周囲には風が吹いていた。
快の片方の瞳は透き通るような緑に染められている。
「僕は、お前を許さない!!」
快が指輪をバエルに向けると、何かがバエルの身を通りすぎる。
「あぁそうか! だがもう貴様に抵抗する術は――――」
言いかけた瞬間、バエルの口から血液が噴き出す。
バエルは、左手で口許を拭った。
「…………お前、なにを、した?」
バエルが下へ目を落とすと、そこには――――
―――自分のはらわたが、飛び出ていた。
「――――ッ!!!!!」
赤く染まった左手を握り、腹を抑えながらバエルは震えた。
「お前!! 稚拙下賤愚鈍下劣なる人間畜生風情が! この私に!!」
いきり立ち、バエルは高速で快へ背中の脚で快の周囲を取り囲む。
すると、その全てが快の体を包む何かに切り刻まれていった。
ぼとぼとと、落ちていく脚を目にしてバエルは額に汗を流す。
「私の、脚が……………………!?」
脚の生えていた背中と、右手の指先からは煙が吹きあがっていた。
「その王冠ごと、お前の顔を刻むまで僕は許さない。絶対に、謝ろうとね」
快が指輪をはめた指を鳴らすと、アイネスの体を包んでいた糸がばらばらに切れていった。
するとアイネスは、その場から立ち上がった。
「貴様、生きては帰さん! この爪が治ったらぐっはぁ!!」
快が再び指輪を向けると、今度は深々と、バエルの腹が切り裂かれ、肉塊と共にカードが漏れ出ていった。
「生きて帰さない? それはこっちの台詞だ。街の皆を、あんな風に痛めつけて愉しんで。弱い者いじめは楽しかったか」
「図に乗るなよ、私は魔王の器だ! 私に逆らうなら何者だろうと許さぬ!! 私が世界の掟そのものになる筈なのだ!!」
バエルは両腕と足を広げる。
やがて、青年の姿を模した、その造形はひび割れていき崩れていく。
崩れていった皮膚の中からは、より巨大な肉をさらけ出さんとしていた。
「現悪魔属魔王も! 甘ったるい三魔神も! あの魔王の金魚の糞も皆殺しだァ!!!」
怒鳴りながら変形し、露わにしたのは、館で見た巨大な三つ首の怪物の姿だった。
「nub”\d! nub”\d!! gxjfd1kq”!!!」
快は、真の姿を現したバエルを前に足をすくませる。
一方、アイネスはバエルの足元に近づいた。
「! アイネス危ない!」
アイネスに駆け寄ろうとすると、アイネスはバエルの巨大な脚の一本の前で手を伸ばし、念じた。
すると、魔法陣が現れ吹雪を放っていった。
吹雪は、バエルの脚を凍らせていき、そこから続く下半身が凍り付き、バエルは上半身以外の動きが封じられる。
吹雪を出しえると、アイネスはぶらりと力なく腕を垂れさせた。
「快、その風の魔術で倒すんだ」
快は頷いた。
すると、指輪は風の魔力に包まれ、指輪が変形していく。
指輪は、緑色のサーベルと鎧へと姿を変え、快の体を包みこんだ。
「指輪とこの宝石にこんな力が…………!?」
鎧とサーベルは軽く、まるで体と空気を一体化させたかのように感じた。
「六k;!! bc”四s”m!!!」
バエルは、三つの首から炎を吐き、周囲を焼き尽くす。
快は、炎が吐き出される瞬間、アイネスの下へ駆けると一瞬でアイネスに辿り着き、炎から身を庇う。
鎧は纏っていた風を放ち、炎を打ち払って快とアイネスの身を守った。
快は、握りしめたサーベルを吐き続けられた炎に向かって振り上げた。
サーベルからは、衝撃波が放たれ、炎の息を切り裂いていく。
「 }q”Q”! 〇qdf}wgq”!!」
やがて衝撃波は、正面の王冠を被った真ん中の頭に直撃した。
一撃を喰らわせられた王冠は真っ二つに割れ、真ん中の頭からは血が飛び出た。
快はそれを見て、動きを止めた脚からバエルの体へ登り、腹部を蹴り跳躍する。
快が跳躍すると、足元から風が吹きすさび体を浮かび上がらせていった。
「魔王の器、バエル………この一撃を手土産にして魔界に還れ!!」
快は、サーベルを両手で握り、全身の力を籠める。
すると、鎧とサーベルはそれに応えるように快の体を高速で回転させた。
その様は、さながら空中を浮遊する、悪魔を絶つ風の回転刃。
回転するサーベルに、バエルは頭を切り裂かれ、快はバエルの頭を貫いた。
背後を顧みると、バエルの頭部は真っ二つになっており、力なく倒れそこから血だまりを作っていた。
「………終わったか?」
快は全身の緊張を解き、その場に崩れる。
脱力する快の、鎧とサーベルの纏っていた風は止まり、鎧とサーベルは元の指輪へと戻っていった。
快が指輪をはめた人差し指を見ると、指輪に付けていた宝石は跡形も無く消えていた。
「快」
アイネスは、座り込む快の側へ寄る。
「ごめんね、僕のせいでこんなことになって。…………快がこんなことせず、大人しく僕が餌になってればよかったのに」
快はそれを聞き、ぴくりと反応を返す。
「……ふふっ、そんなこと言うなよ」
快は、立ち上がり、ズボンの砂埃を軽く振り払いアイネスに笑顔で――手を伸ばす。
「僕ら、これで”本当の仲間”になったのに」
アイネスは、生気の無かった瞳を輝かせ、手を取った。
「…………Ich Besten Dank.」
空からは雨が降り始め、雫は荒れた街を濡らしていく。
アイネスの濡れた頬は、雨の一粒か――――。
快がバエルの死体の下にあったカードをポケットにしまい込むと、快はその後ろで立つアイネスに話しかける。
「そうだ、病の”元凶”を追う上で、役に立つ情報を聞いたんだ」
「元凶は、この町のどこかに居るってさ」
アイネスは首をかしげる。
「? 誰から聞いたの?」
訊かれた快は、真剣な表情を浮かべ答えた。
「…………最初に、疑っていた人物。 現状”銀髪の怪物”に最も近い人物だよ」
雨は上がる。
空が青空を示すのは、雲が打ち払われてこそである。
大地が雨の残骸を無くし、元の姿へ戻るのも雫が下へ下へと落ちてこそ。
まだ、降りかかる災いの全てが打ち払われたわけではないのであった―――。
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