冥界にて、謀略を巡らせる”偽りの王”。
驕れるままに只、サタナエルは岩山の玉座で己に付き従う者達の軍を編成する。
その隣に居るのは、天界の至高にして唯一無二の偉大なる天使の長。
ルシファーである。
ルシファーは、杖を見つめる。
(………サタナエルとは利害の一致で付き合ったが、もし今ここでこいつの謀反を告発すれば、人間に果実を食べさせたことを帳消しにできるだろうか)
頭によぎるは、自身が嫌悪する裏切りの連鎖への道。
「……サタナエル、冥界から天界へ戻るにはどうすればいい? 魔術の類も使えない以上どうすることもできないだろう?」
ルシファーがそう問うと、サタナエルは何食わぬ顔で脚絆のポケットから、羊皮紙を取り出した。
「あぁ、来た時と同じように紙の内容を読み上げりゃいい。それか、その杖に念じてみな」
ルシファーは言われたとおりに杖を回しながら念じる。
すると、来た時と同じような魔法陣が現れた。
「魔力は使えないはずだろうに、何故?」
ルシファーに、サタナエルは答えた。
「あぁ、それに関しては解らん。だが、ダーカーズ・デビルノコンで出来たものでそうすると、強く意識した場所へ飛ぶんだ」
「………なるほど、よくわかってないのに使ってたわけだ、ではな」
ルシファーはそれだけ言うと、魔法陣の中へ入っていった。
魔法陣の先には、見慣れた天界の光景が広がっていた。
「ふむ、やはりここが落ち着くね」
ルシファーは、落ち着いて深呼吸した。
先ほどまで見ていた景色との差異に、ルシファーは息を整えさせずにはいられなかった。
「ルシファー様! 今までどこへ居たのですか!」
後ろから声を掛けられる。
声の主は、熾天使の一人、ミカエルだった。
「あぁ、ちょっと息抜きをね」
「ちょうどよかった、今天界中が大騒ぎなんですよ! すぐに天界神様の所へ来てください!」
ミカエルは半ば、強制的にルシファーの手を引き飛び立った。
ルシファーが呆然と、手の引かれるままにしていると、本人の気づかぬうちに天界神の玉座の間へ着いていた。
「おお、ルシファーか、探しておったぞ。ミカエルよくぞ連れてきた」
天界神は穏やかな口調でミカエルの頭を撫でる。
「えへへ……ってじゃなくて!」
「おお、そうであったそうであった。……天界で騒ぎとなっている事についてなのだが………」
我に返るミカエルを見て、天界神はルシファーの方へ顔を向けた。
「……人間達が、驚異的な魔力と身体能力を見せる様になっておるが、何か覚えはあるか?」
何気ないはずの問いに、ルシファーの額から汗が流れる。
「はて……何も存じません」
ルシファーは、手に持った杖に目線を向けた。
その杖は、静かに妖しく光を放っていた。
「__天界神様、申し上げにくいのですが」
「うむ、言うてみよ」
ルシファーは天界神の玉座へさらに近寄り、歩み寄った。
「人間達が、地上に居る未来を私は確実に見ました……しかし、その結末は悲惨でした」
一歩一歩、ゆっくりと瞳を銀色の長髪で隠しながら進む。
「子孫は殺し合い、挙句傲り他の生命を、力ではなく道具で苦しませ殺す……惨澹たる光景でした」
天界神へ向けるルシファーの声色は、徐々に低くなっていった。
「なんと…………」
「そこで、一つ提案があります」
ルシファーの足は、天界神の目の前にたどり着く。
「あの人間達に、知恵と力を与えた上で地上界へ送るべきではないかと」
天界神はそれを聞き、変わらず穏やかな口調で言った。
「…………それも、定めだ。滅ぶ生き物があるというのなら滅べば良い……あれ以上の力も魔力も、知恵も必要あるまい」
「では__」
刹那、天界神の胸から赤い液体が迸る。
遠くから見ていたミカエルすらも、状況の処理ができずにただ唖然としていた。
天界神の心臓が収められた胸は、ルシファーの杖に貫かれていた。
「………私はあなたを、敬愛していました。故に忠誠を誓っていました………しかし」
やがて、貫いた杖の鋭利な箇所は白い光を放っていく。
ルシファーは、ただその様を冷ややかな目で見つめ、杖を片手で上へと持ち上げた。
「__私の愛した、生き物達を傷つけ、悲しみを生むのであれば私はそれを許さない。たとえ神であろうとも」
「…………ルシフ」
天界神が、次の台詞を発する前に、ルシファーは杖に魔力を込め、天界神の体を爆散四散させた。
「るしふぁー……さま………?」
硬直するミカエルに、ルシファーは杖を構えたまま近づく。
「……ミカエル、すまないね」
その顔は、いつも見せるものと同じだった。
ルシファーは杖の先から火炎弾を発した。
「うわあああっ!!」
火炎弾が地面に着弾すると、ミカエルの周囲が炎に包まれた。
「こっ……こんなことって……ルシファー様……こんな事、許されるはずが………!」
そうルシファーに言うミカエルの純白の顔面は紅に染まり、粒が流れていた。
「………誰に許されないというんだい? それに、仕える者が消え失せたのなら我々で治めていけばいいじゃあないか」
開く言葉は、魔性の響き。
ミカエルは煙にむせながら、ルシファーの前で念じる。
すると、ミカエルの右には剣、左腕には盾が現れた、
「……黙れっ……天界の罪を犯したあなたに、私は天界の正義として………あなたを追放する!!」
「………やってみるがいいさ」
神を一瞬で消し炭にした、堕天使の”王”を前にミカエルの向けた切っ先が震える。
「……私だって、ルシファー様を愛していたのに……それほどまでに、あなたは他の命を尊ぶというのですか!! 御身に関わりがないというのに!」
ミカエルの剣技がルシファーに、感情のままに襲い掛かる。
それをルシファーは躱し、あるいは杖でいなしていった。
「………君の愛とは、敬愛という社交的なものに過ぎんだろう。それと、私は命とは等しく愛すべきものだと思っている。………皆逞しく、美しく”生”を成す」
「その”生”の時を共に過ごし大地を踏み歩いた、私が育て、私が送っていった尊く愛おしい存在に、私が関係ないと言い切るのか」
「未熟な痴れ者が!!」
ルシファーの声が荒げ、ミカエルは怯む。
ルシファーが杖を振るった瞬間、ミカエルの盾が砕かれていった。
「ちっ……違う! 私は、貴方の事を本当に__」
ミカエルが大きく剣を振りかぶると、ルシファーの杖の先端が腹を突いた。
「ぐえっ………」
「君も、私の思いを理解してくれないのか」
お互いの攻撃は、ミカエルが腹を抑えて沈黙する。
一時の静寂を破ったのは、空から降り地面へと落ちた者。
それは、羽根の焼け焦げた大天使だった。
「何が……あった?!」
腹を抑え、苦悶の表情を見せぬようにしながらミカエルは大天使に寄る。
「……”悪魔”と名乗る軍勢が…………天界を滅ぼそうと…………」
大天使はそれだけ告げると、その場で息絶えた。
ミカエルは空を見上げる。
その空には、炎に燃える、鎖に繋がれた天使を象った空飛ぶ戦車と、それに続くかつての仲間たちの姿があった。
「ハハハハハ!! 革命軍のご登場ってわけだぜ!!そこどきな!!!」
戦車の主は、応戦に向かった天使達を蹴散らし、いずこかへと向かわんとしていた。
「……サタナエル!?」
ルシファーはミカエルを置いて、サタナエルの元へ飛び立った。
「まてっ……ぐうっ………げほっ………」
鋭く放たれた腹部への打撃と、燃える炎から立ち昇る煙に肺を燻される感覚、最愛にして憧憬に立っていた筈の相手__
全てが、ミカエルの痛みとなり足が動かせずにいた。
サタナエルの悪魔の軍団は、天界の聖獣や天使達を倒し蹂躙していく。
「兄貴!ルシファー様! 俺らあっち攻めてくるっす!
悪魔の軍団の一体が言い、サタナエルは頷く。
それを確認すると悪魔は、隊列を率いて天界の町へと降りていった。
「財宝があれば奪え! 殺したきゃ殺せ! 徹底的にぶっ潰すんだ。………俺様をないがしろにした報いを受けるがいいわ」
サタナエルの操る戦車、それは冥界に座席だけを岩山から出していたものだった。
燃える冥界の玉座は、悪魔たちの先頭で天界の塔へ突進し、破壊していく。
「止まれ!!」
声の方を、戦車の側で飛びついてたルシファーが向く。
そこには、天界の門番__ウリエルが、血の付いた剣と燃える槍を両腕に持ち、戦闘の構えを取っていた。
既にウリエルの銀の鎧は、既に返り血に染められていた。
「ルシファー様………そしてそこな天使よ、かような愚行は止せ」
ウリエルは、悪魔の軍団に付くルシファーを眼前にして嘆きの声をあげているようだった。
「”そこな天使”…………だと!?」
サタナエルは戦車から降り、車輪を殴る。
貫通した腕を持ち上げると、サタナエルの体の十倍はあろうかという大きさの戦車は浮かび上がった。
「この様子…………まずい! みんな逃げろ!!」
その様子を見て何かを察するルシファーは悪魔の群衆の前で翼を全て展開し、仁王立ちした
「ハハハハハ………決してお前には真似できねぇだろ。お上品な天使どもとは鍛え方が違うんでなぁ!!」
サタナエルはそういうと、戦車に雷をまとわせていく。
そして、ウリエルの体へ、流星の様に急降下し突撃した。
ウリエルは回避不能と判断し、防御の姿勢を取るが、戦車の先端の槍に体を貫かれ__地面へ向かっていった。
「ぐはっ………この争いの果てに、貴様は何を望んでいる…………?!」
ウリエルは落ちながらも、槍の突きをサタナエルへ与える。
突きに怯むことなく、サタナエルは勢いを増していく。
「望み……………………?」
(………身体能力は、天使の中で最強を誇るとはいえ………無茶しすぎたぞ)
ルシファーは、ただその凄まじき戦いを、悪魔たちを退避させながら傍観することしかできずにいた。
「もはや、今更天界に望みはねェな!!」
ウリエルの体が、戦車ごと天界の地面に叩きつけられた瞬間。
__ウリエルの鎧は爆ぜ、稲妻をまとった衝撃波が天界の全てを薙いだ。
「ぐあっ…………思い出した………いつもルシファー様の隣にいた…………ッ!」
そう言った瞬間、何度も戦車がウリエルの顔に叩きつけられる。
「………どいつもこいつもルシファールシファールシファーか!! お前らは本当に敬意を払うべき相手を間違えてやがる………!」
激情のままに、サタナエルは戦車で殴り続けた。
ウリエルを無我夢中で殴り続けていると、天使の軍勢が空を覆いだす。
「くっ………来るぞ! 君たち、応戦するんだ」
サタナエルが戦っている間、ルシファーは悪魔たちに指示を下す。
「いいさ、手前らにゃサタナエルは居なかった。どこにもな」
戦車に冥界の羊皮紙を張り付け、サタナエルはしまい込む。
「………いいか、俺様の名は…………ッ!!」
サタナエルは、後ろ髪の髪留めを爪で切り、黄金の髪をなびかせた。
無価値で、不要なる者の名と叫びが、そこに轟く暴虐の雷鳴に共鳴し響き渡っていった。
__「ルシファー様! どうして!」
天空では、天使たちの質問に、火炎と吹雪で返していくルシファーの姿があった。
「…………すまないね、私は愛したものを選んだんだ」
それだけ答えると、天使の軍勢へ念じた杖を向ける。
すると、一瞬にして悪魔の軍勢の目の前を壁の様に覆っていた天使たちは羽根を焼かれ、あるいは全身を凍らされ地面へと落ちていった。
「私は、許せない。生命をなんとも思っておらずのうのうと今日を生きる者が」
ルシファーは、詠唱を開始する。
それは、魔術に優れたルシファー自身にとって、いかに危険なものとなるかは分かっていた。
解っていても、この時ルシファーは止められなかった。
「”__これは、神をも罰した我が怒り。明星の子、曙の輝きたるこの私が命じ、愚を極め栄えた国の全てに、冬を送る」
ルシファーの周囲は、段々と氷の礫が現れ浮かび上がっていった。
「げっほっ…………離れたほうがよさそうだ!」
悪魔の一体がせき込み、軍団はどこかへと飛び去って行った。
それでもなお、ルシファーは唱え続ける。
「神の座よりも高く、頂より見下ろし子らを統べ、尊ばぬ者を粛清せん。”」
「_断罪の絶対獄零度」
詠唱を終えると、巨大な氷塊がルシファーの周囲を逆十字を描くように取り囲んでいた。
続々と、ルシファーに迫っていく大天使たちはそのあまりの神々しさと同居する恐ろしさに思わず揃って固唾を飲む。
「ひっ、怯むな! 魔術で応戦せよ!」
大天使の軍団の先頭で、名も無き智天使が指揮を執る。
指揮によって、大天使は各々が最も得意とする魔術の、最大火力を放っていく。
雷、炎、風、水、岩…………
ルシファーに狙いを定めた、その悉くを、目の前の氷塊は吸い込んでいった。
「………その程度か、嘆かわしい」
ルシファーが息を吹きかけると、氷塊から絶対零度の吹雪が発せられ、天使の軍団に襲い掛かった。
天使たちは、唱えた魔術ごと何も言葉を発する事無く氷となって落下していく。
「さて、人間達は__」
ルシファーが草原へ向かおうとした時。
背中の肉が裂け、生暖かい液体が天を走った。
後ろを向くと、ミカエルがルシファーの背中を切り裂いていた。
「君は…………!!」
二言目を発する前に、振り向きざま無慈悲に首筋をうなじごと、ミカエルは折られた剣で切った。
「………あなたにもし、許さないことがあったとするなら、私も、貴方を許しません」
ミカエルの瞳に、雫はもはや無く。
あるのは、ただ正義に燃える、戦士の瞳だけだった。
出血するうなじを片手で抑え、ルシファーはその場でミカエルの方へ反転する。
「なるほど………公では、最強とされている君が不意打ちをするとはね」
ルシファーは、余裕にふるまい杖を構える。
声、吐息、姿__焦がれながら、紡ぎあげてきたルシファーとの記憶を、振るう剣で切り裂いていくミカエル。
「悪魔を相手に、私は容赦しない! 天界から消え失せろ!!」
かつてなら、決して言う筈の無かった言葉の刃をルシファーに向ける。
思わず、ルシファーは鋭く向けていた目を丸くした。
「………ふふっ、成長したね。流石は天使の軍団長」
ルシファーのその言動に見えるは、日常の影。
ミカエルは、ただ敵を滅する剣を叩きこむ。
それを全て躱し、ルシファーは吹雪を浴びせかけていった。
ミカエルの手足は既に凍り付き、本来なら一瞬たりとも筋肉すら動かせぬ状態となっていた。
それでも、ミカエルはルシファーへの攻撃の手を緩めなかった。
魔術を用い、身体を灼熱に燃やし、魔術、剣術の全てを放つ。
「落ちろ! 墜ちろ!! 堕ちろ!!! オチロ!!!!」
必死の叫びと共に繰り出される、粉骨砕身の一撃の猛攻にルシファーはいよいよ汗を流し始める。
(呪文詠唱で一気にカタを付けたいが、首を斬られている以上詠唱ができない。そのうえこの速度………まずい)
互いに移動しながら繰り広げられる、空中戦。
刃の五月雨に、とうとうルシファーの体は傷をつけられていく。
傷つけられた箇所は、膝、肘などの関節と、筋。
どれも、傷つけられれば通常、無力化できる箇所だった。
しかし、再生力によって一瞬一瞬の怯みは見せど、攻撃の隙を作れるほどの時間を作れずにいた。
そして、首の切り傷が回復しているのが見えた。
「………はぁ、はぁ…………ミカエル。 君程の強者を敵にしておくのは勿体ないね」
「…………何を!」
ミカエルは攻撃の手を止める。
すると、ルシファーの体は浮かびだした。
「……………………私は、この一撃に全てを懸ける。この一撃に、相当する魔力をぶつけなければ恐らく君は消滅する。…………この天界の地面に大穴を開けて」
「…………認めよう、私は君に勝てない。だからこそ__敬意を以て、私の全霊をここにぶつけよう」
ルシファーがそう告げると、ルシファーの周りは右半身側に溶岩が浮かび、第二の太陽が現れ、左半身側には先ほどの氷塊よりもはるかに巨大な氷塊と水星の如く青く染まった巨大な球体が現れる。
「ならば!!」
ミカエルは両腕を構え、複数の魔法陣を展開する。
すると、魔法陣から五つの天使の名が浮かび上がった。
”神の御力”。
”神の癒し”。
”神の威光”。
”神を助く者”。
そして__魔法陣の中心に据えるのは”神に等しき者”の名。
「…………お前たちの力、ここで借りるぞ!! 魔力を頼む!!」
ミカエルの放つ、禁呪。
それは、偉大なる熾天使達の魔力を魔法陣によって増幅させ、その身に宿る属性の魔術を放つ”天界の究極兵器”だった。
五体分の天使の、身に宿る魔力の全てを放つ禁断の呪文。
しかし、ルシファーから感じ取る魔力から、ミカエルは悟った。
それだけでは、足らぬと。
いよいよミカエルの腕は、魔力量に耐え切れず筋肉がはじけ飛ぶ。
それでもなお、魔法陣を拡張させていく。
やがて魔法陣はルシファーの出現させた、太陽と溶岩、水星と氷塊に匹敵__否、それを飲み込む程の大きさとなっていた。
魔法陣を完成させる頃には、ミカエルの全身は出血し、羽根の羽毛は全て焼き切れていた。
それは、全ての天使の名と、神々の名を示していた。
天界に二つある砂漠の神々、天界の熱帯の神々、天界の極寒の神々、天界の温暖地の神々、天界の雲の神々__
そして、天界を統べる天界神の名。
ルシファーは、傷だらけになりながらも魔術を展開していくミカエルを前に驚愕する。
ルシファーは呪文を唱える。
「__”私は、生命の長、いまや天界の王也。汝我が逆鱗に触れたなら冥府より深く、闇より暗き奈落の地にて永久に悔やむだろう」
「我が身は憤怒の化身、生きとし生ける者に植えられし焔。従順であれ、その心のままに牙を向け、爪を立てよ。私が赦し、その全てを肯定しよう」
「我が身を押さえつけんとするのならば______」
ルシファーは、目を輝かせ、全ての魔力を開放させる。
「己が身に宿りし奈落に溺れよ。”」
呪文を唱え終えると、水星と太陽、溶岩と氷塊は互いを打ち消し合いながら一体化し_冠を被った四本首の竜の姿となってミカエルに襲い掛かった。
その力は、地上の守護神たる竜たちの魔力とほぼ遜色ない程だというのを、ミカエルに本能で感じ取らせた。
宿る属性は、闇・光・炎・氷__矛盾し、互いを喰らいあう相反したもの。
ミカエルは、最大限の力で__目の前の”魔物”に立ち向かう。
「………私は、絶対にあなたに屈しない!! あなたを超えて、天界を邪悪から守るんだ!」
「…………守る? 何を守るんだ。もはや守るべきもの等ありはしまい…………この天界の地と共に大人しく消えろ」
「これで………出ていけ、堕天使ィッ!!!」
ミカエルが叫ぶと同時に、魔法陣から光線が放たれる。
光線は、竜を抑え込み相殺する。
全ての神々、全ての天使、全ての天界に住まう聖獣達の全魔力を以てしても、ルシファーの全力とほぼ互角となっていた。
「あなたは天界神様の生み出した最高傑作だって、天界神様が仰ってたのに………!!」
竜は、やがて光線を押しのけていった。
「皆の憧れで、天界の誉れだったのに…………みんなが大好きだったのに!!」
ミカエルの体から、さらに鮮血が飛び散る。
限界を超えてなお、身体から魔力を放出させ少しでも、光線へと力を費やしていく。
ミカエルの身体は、既に悲鳴を上げ、魔力も枯渇しどんどんと地面へ身体が落ちていった。
落ちていくミカエル。
なおも天へ高く据えるルシファー。
もはや、敗北は目の前であった。
ルシファーが最後の力を振り絞り、竜に力を籠める。
しかし、ミカエルの落ちた先は__動物達と、人間の居た草原だった。
時間にして、ほんの五秒__放たれた竜の勢いが落ちていく。
その五秒を突き、光線は竜を裂いていった。
光線が、ルシファーの体を包み込んでいき天界の空間に穴を開けた__
「全く…………君にはかなわんね」
身体を焦がされ、空間の裂け目へと光線ごと投げ込まれ__どこか皮肉を混じらせそう呟いていった。
__ルシファーが目を覚ますと、そこは驚くべき光景が広がっていた。
天界を攻めていた魔獣や亜人、亜竜、悪魔たちが転がっていたのである。
(ここは、どこだ…………?)
ルシファーは体を動かそうとする。
しかし、動けずにいた。
ルシファーがふと目線を下へ下ろすと、両腕は骨を見せ、両足は焼け消滅しており、胸には穴が空いていた。
(あぁ、そうか…………私は堕ちたのだな…………魔界へ)
ルシファーが全身に魔力を籠める。
すると、肉体は傷跡をわずかに残しながらも活性化し、再生した。
ふと上を見上げると、次から次へと魔法陣が現れ、あらゆる傷を負った魔物が落ちてきていた。
タイタンやテュポーン、フェンリル、ハンババ、ヒュドラ、ヨルムンガンド、ゴルゴン達__
中には、ルシファーすら知らない魔物があちらこちらでうめき声をあげていた。
ルシファーが歩いていると、腕を折られた様子のアモンを見つけた。
「アモン、これはどういう事だ…………敗北したのか?」
ルシファーが訊ねると、アモンは渋々口を開いた。
「…………天界の三分の一の天使達、魔界から連れてきた魔獣たち…………冥界の一部に封印されていた連中も加え入れていたのですが…………」
「まさか…………すんでのところでアレを使われるとは…………」
「アレ?」
「…………ミカエルに、狂ったように禁呪を使われて、全滅したのです」
ルシファーは驚きを隠せずにいた。
「馬鹿な!? あいつはとっくに虫の息じゃあ_」
「…………草原に生えていた天界の果実を食べつくして、人間達を地上へ送った後俺らを蹴散らしてったんです」
「……………………ミカエル、身体もぼろぼろだろうに………そこまでして、天界を守りたかったというのか」
ルシファーは呟いた。
「俺はまだ諦めんぞ!! 必ず貴様らをぶちのめしてやらああああ!!」
ルシファーが呟いていると、魔界の空から、黄金の髪を持つ猛々しい悪魔が魔法陣に亀裂を作りながら降りてきた。
その悪魔は、六枚あったはずの翼を全てもぎ、額から血を流し、美しかった紅い瞳は黄色く染まっていた。
「………サタナエル…………?」
ルシファーが地面に叩きつけられるように落ちてきた悪魔に、声をかける。
しかし、ルシファーの知る名前で呼ぶにはあまりにも変わり果てていた。
「……ハッ……ちげぇよ」
傷だらけの体を震えさせながら、悪魔は立ちあがる。
「俺様の名は、ベリアルだ」
その名が示すのは、無価値にして不要なる者だった。
ルシファーは、少し考え込んだ後答えた。
「………なるほど、今のお前にぴったりだな」
天界には、最初から過ぎた者。
即ち、不要であった者。
納得した様子でルシファーが言うと、サタナエル__否、ベリアルは笑った。
「…………ここが、魔界か。…………おい野郎ども!!」
ベリアルの声が、魔界に響く。
「今日より、ここが俺らの国だ! 天下だ! 何も遠慮する事はねぇ!!」
ルシファーはベリアルの肩を叩く。
「おい、まだそうと決まったわけじゃあないだろう。それに、先住民の話を聞いてから_」
ルシファーが言いかけると、ベリアルの爪が顔面を襲った。
刹那、紙一重でルシファーは避ける。
「何をする!!」
「…………うるせぇ、ここじゃ力が全てだ。欲しいものがあれば力で奪い取れ」
「てめぇらで争い合って、最強の者に付け! 最強の魔族にこそ、この広大な魔界を統べるに相応しい!!」
ベリアルは、ルシファーの元から地面を蹴り、魔界の岩山の山頂で立った。
「もう、神に従う必要も、縛られる必要もねぇ!! その腐りきった血肉を、再び湧きあがらせろォ!!!」
ベリアルの宣言によって、あらゆる魔族は争い始めた。
各々の魔力、力を使いあい__滅びたとしても、肉体がある限り再生する魔族は、己を殺した者に付いた。
「…………なぁ、私を倒したいと言っていたね」
ルシファーはベリアルの元へ飛翔する。
「あぁ、だからこそこうして言ったのよォ」
ベリアルが腕をあげた瞬間、脚絆から天界の果実が転がる。
それを拾い上げ、目の前で齧り、ルシファーは杖を構えた。
すると、翼は黒く染まり魔力が回復していった。
「…………遠慮は、いらないのだろう? ならば、私も全力で君と戦おう」
ルシファーがそう言っていると、横から複数の悪魔が割り込んできた。
「待ちたまえ…………最強の座は我にこそふさわしい…………」
ベリアルの方へ奇襲を仕掛けたのは、アスモダイだった。
「…………障壁、排除」
ルシファーの隣で、静かに暗殺しようとするのは、アバドン。
それに釣られるかの様に、パズズが舌をうならせる。
「ひっひっひ…………ひゃは!」
「…………さぁ来い、私に認めさせてみろ」
ルシファーは、高名な悪魔を相手に構えた__
「おぅい、ルシファー?」
聞こえてくる、聞き覚えのある声に瞼を開ける。
「………むぐっ……」
「ししっ、酷くうなされてたよ?」
ベルゼブブである。
「あぁ………酷く懐かしい夢を見ていたよ」
ルシファーは、ベッドから足を下ろした。
(あの後、私は何とか勝利して、初代魔王となったんだったか…………それから色々と初歩的な取り決めをしたんだったか)
ルシファーは鏡台に座り、髪を整え、普段着へと着替えた。
その過程を見終え、ベルゼブブは言った。
「プエルラ嬢が、各種族の魔王の器を集めて地上界への行き方について会議をするってさ。………僕は見学するけど、ベリアルは出るってさ」
(地上界…………)
「…………では、私も出ようかな」
鏡台の隣に立てかけていた杖を持ち、外套をなびかせ城からルシファーは出ていく。
微睡の残る頭に、魔界の月光が差し込む。
魔界を統べた、かつての初代魔王。
その正体は全ての生き物を、分け隔てなく愛した堕天使。
彼の選択の全てには、後悔など無かった。
当時、やれることを全力でやった。
何度も、あらゆる争いで生き残り、あらゆる争いで力を尽くしたその身に、人間への憎しみは既に無く。
されど、天界神への憎悪はまだ残っていた。
蘇っているであろう天界神に、再び相対するその日まで、ルシファーは魔王の器として__
今宵も、神へ反し、その身を生命へと捧げる__。
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