第二章 第十四話  乖離

快が、ふとグリードの方を見つめると、空を見上げるグリードは暗鬱な表情を浮かべていた。

これまでに、無いような憂いを帯びた顔に、快は手を伸ばして言葉を投げかける。

「大丈夫?」

「何、少しばかり昔を思い出してな」

また、いつもの様に怪しげな笑みをたたえて、快の顔を向く。

何かを隠しているのだろう――――しかし、快にとって詮索できる訳も無かった。

同じ空、同じ風景をただ共に。

 話す言の葉も無く、二人は並んでベンチに座り込んでいた。

 何度聞いたかも知れない、行き交う人々の喧騒。

 鮮やかに、信号機の色彩が発光し、灰色と光に照らされた街にコントラストを与える。

 そんな景観に、快は飽きた様子でベンチから立ち上がった。

「さて、安全な所には一応これたわけだし、びおれへ帰らないと……オーナーさんも大慌てしているだろうし」

 快はベンチから立ち上がり、右を振り向く。

 右を見ると、その先には建物の中に組み込まれたコンビニが、街路樹と路地の隙間に構えていた。

 コンビニが正面に見えると、すぐさまそこへ快が走り出す。

「あっと」

 快は、無我夢中で走っていた――と同時に、自身の状況を完全に忘れていたように、平らな歩道で転んだ。

 咄嗟に体を支えんと、左腕を伸ばしかけるが、掴む事すらできず。

 肩に残る断面を、地面に叩きつけてしまっていた。

 痛みに悶えつつ、立ち上がろうとすると快の目の前には、茶色の宝石が中心に据えられた靴が姿を現す。

「何やってんだよ、大丈夫か?」

 見上げると、そこには手を差し伸べ、ビニール袋を下げたグリードが居た。

 快は差し伸べられた手を握り、持ち上げられるままに立ちあがると快は軽く会釈する。

「ありがと、って、何買ったの? まさか地図とか新聞とか?」

 快が問うと、グリードは首を軽く横に振った。

「いや、ウイスキー一瓶とホットスナックを軽く買い占めてきた」

 グリードがコンビニ袋から瓶を取り出し、飲み口付近に握りしめた手の親指を上にあげる。

 すると、キャップごと飲み口が割れ、どこかへと飛んでいき――それを確認するとグリードは口を開け中身を流し込んでいった。

「マイペースだな……えっと、お小遣いいくら持ってたっけ……」

 快はグリードを放置し、ズボンのポケットを叩く。

 ポケットから伝わった感触は、平べったく、自分の太ももの肉と、印章封印札の感触、片方は金属の感触しか返ってこなかった。

(しまった、財布もどこかの戦いで落としたかな……)

 そうと解ると、周囲を見渡し、何かを探る。

(町の掲示板があれば、ここが天護町のどこなのかがわかるはず……とにかく、戻らないと……)

 快が歩道を道なりに進んでいくと、右から声をかけられた。

「君」

 声のする方を向くと、そこは交番。

 交番の入り口には、一人の警察官が手招きをしていた。

 快は、胸を撫でおろしつつ誘われるままに警察官の方へと歩み寄る。

(完全に盲点だった……思えばこれまで、超常的? といったらいいんだろうか、そんな事ばかり起きていたから……“普通”はこういう時真っ先に行くべきなのに)

 快がそんな思考を携えていると、警察官の元へ既に足はついていた。

「君、どこの子だい? 迷子……?」

 丸顔の警官が訊ねると、快は答える。

「天護町の……えっと、びおれって所知りませんか? グループホームなんですけど、今日は遠出しすぎたみたいで……あはは」

 快が照れ隠しのように頭を掻いて見せると、警官が頷いた。

「びおれ……あぁ! あのグループホーム! 普段忙しいんで、あそこには僕の姪っ子がお世話になっててね、休日によく行くけど……いささか遠すぎないかい?」

 訝し気に首を傾げていると、快はあえて俯く。

 あたかも、重要な事柄が背後にあるように。

「今日は……どうしても、遠出したかったんです(嘘は、言ってないしいいでしょ)」

 脳内で、快がそんな一言を零すと警察官は眉を八の字にして返す。

「うーん、まぁ思春期は難しいよな。じゃあ、パトカーに乗って。送ってあげよう」

 警察官は交番隣に駐車されたパトカーを指さした。

 それを見ると、快は快く頷く。

「はい、お願いします!」

「いや意外と元気だな君おい」

 丸顔の警官が突っ込むと、快はよそにキーの外れたパトカーに乗り込んだ。

 パトカーに乗り込むと、警官はハンドルを握り、すぐに出発する。

 道路を駆け抜け、変わりゆく窓辺の景色を、快は眺めていた。

 頬杖を突き、一呼吸をついて。

(片腕は失った、けど……ようやく僕はあの奇天烈な戦いから逃げられるのか)

 安堵に至る、思考。

 快は、重たげに瞼を開けつつ――欠伸を零していた。

「君、シートベルト忘れているよ」

 丸顔の警官に声をかけられ、快はシートベルトを締める。

 シートベルトを、僅かに残った意識で締め終えると――そのまま、眠りについた。

 解かれた緊張を、微睡に癒すかのように。 

 ――けたたましく鳴る、クラクション音。

 それは、深い眠りについていた快の目を覚まさせるには十分なものだった。

 突然のクラクションに飛び起きると、快は周りをすぐ見渡す。

 窓の外は暗く、ぼんやりと浮かぶ建物の形状には見覚えがあるもの。

(ここ……あれ、棕と遊んでいた場所じゃん)

 パトカーの両脇には渋滞が起きていた。

 快が寝ぼけがけの頭を座席から起こし、ハンドルを握っている警官に訊ねる

「あの、ここはどこ区ですか?」

 快の質問に、警官は穏やかな物腰で語った。

「あぁ、ここは業六区ごうろく。最近、何か大規模なテロがあったらしいね」

(大規模な、テロ……?)

 快が頭に浮かんだ疑問を口にしようと――する前に警官が続ける。

「ほら、道路がガタついてるしまだ封鎖されてるところも多いだろう? だから自然と渋滞がこうして起こるのさ」

 警官が指さした方向を見ると、快は想起する。

 あの戦いと、憎き敵の姿を。

 未だかつてなかった程に怒り狂ったこと。

 振るった剣の、感触と重み。

 与えられた、忌々しく断面として残る痛み。

 そして――。

 鉄柱てつパイプに刻んだ、友の名を。

 我に返った時には、膝の上に乗せられた手の甲に――水滴が落ちていた。

(アイネス……)

 無残に、貫かれ、ありありと見せつけるかのような最期と、自身に託してくれた望み。

 その全てが、胸の中で渦巻いてならなかった。

(あの時は、色々と目的があったからあまり考える事もなかった――いや、考えたくなかったのか?)

 自責の結論が、見え始める。

 罪過の潜在意識が、芽生えていた。

 その時。

 快が正面を向き直すと、遠くの車のライトに照らされた――小さな影が見えた。

 それは、快がかつて映画で見たゾンビのような足取り。

 目の前の人型は姿勢は低く、足を引きずり、俯きながら歩いていた。

 快は周囲を見渡し、眼前の遠くには横断歩道が無い事に気付く。

「……まさか、あの……アイネスもどき……ポグロムアとかいったか?!」

 その姿に、記憶と感情が弾ける。

 生命を弄ぶ人型。

 快の脳裏で葬り去った“銀髪の怪物てき”の姿と合致した瞬間だった。

 ポグロムアが、首だけを左に曲げ―――正面に視線を据える。

 その瞳は、満面の笑みで快を捉えている様子だった。

「……なんだあの子は?」

 丸顔の警官が降りようとすると、快は警官の肩を掴む。

 快の方向を向くと、少年のものとは到底思えない表情を浮かべていた。

「……銃を、できれば殺傷力のあるものをください。でないと――奴を、殺せないッ!!」

 肩に入った力もまた、警官からすれば――恐怖を抱かざるを得ないもの。

 怯えた様子で、ハンドルを握り直し警官は快に語り掛ける。

「お、落ち着きなさい……ほら、ただ挨拶しているだけかもしれないし――」

 丸顔の警官が微かに笑むと――。

 車のガラスを割り、警官の頭が轟音と共に座席に潰されていった。

 頭を掴み、叩きつけたのはポグロムア。

 ポグロムアと一瞬目が合うと、快は睨む。

 隻眼で捉え。

 隻腕で、確りと拳を作って――。

「……ポグロムア……!! ポグロムアァァァ!!」

 作られた拳は、目の前に現れた者の顔に向かう。

「……この体は、アイネスのものだよ? おいおい、親友を殴ろうってんじゃないだろうねェ?」

 煽り調子に放った一言に、快は一瞬怯んだ。

 口は震え開き、充血した隻眼は――刹那に潤いだす。

「そういうところだ! 所詮は人間なんだよ!!」

 ポグロムアが口から――赤黒い何かを飛び出させると、快の口の中にそれは入って行く。

「むぐっ……!?」

 吐き出そうとするが、至近距離で口の中に拳を入れられ――その何かは喉を通過した。

 嗚咽を出すこともなく、快がもがくと冷たい、いまやポグロムアのものとなった体が重くよりかかる。

 やがて、快の意識は息苦しさと共に――途切れかける。

 

 脳内に、響くかつての友の声。

 (快……)

 

 ありえない。

 今度は、騙されない。

 目をこじ開け、快は空間――――であるかもわからない、未知の場所から起き上がり、殴る。

 血肉に飢え、鎖に繋がれた獣の様に口と動向を開く。

 目の前に、現れたその姿に拳を当てると、そこに居たのは―――アイネスの姿。

 拳が肉にめり込み、地面に叩きつけられ、その場で倒れるアイネスらしき姿。

 

 違う。

 いまや、こいつは――――!

 冒涜者を前に、鬼となる快。

 道路に撒かれた脳漿、パトカーのサイレンももはや快の耳には届かなかった。

 無抵抗に倒れるポグロムアの前で、快は半壊した頭を掴み、睨む。

 かつての持ち主に代わって。

 弔いを受けてなお、冥府へ逝く事すら許されなかった、雪の如く消えていった魂の為に。

 溶けて消えた友の為を思えばこそだった。

 半分潰れ、残った頭部から覗く紅い瞳を見て、快の目に涙が滴る。

 痙攣する、痛々しい痩躯。

 苦しみを訴える事も諦観しただろう瞳に、かつての面影が覗いてやまなかった。

 

 ――――トドメ等、させる筈がなかった。

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