第二章 第十一話 主よ

  声が響く。

 凛として、低く。

 教会の入り口、真上から。

 快とグリードが教会の屋根を見上げると、そこには少女の姿があった。

 少女は修道服に身を包み、屋根から下の風景全てを見下ろす。

 ――大降りの短剣を、スカートのスリットからわずかに覗く、ガーターから引き抜いて。

「天涯より来訪せし主よ、私に力を……」

 少女が唱えると、短剣は光輝きだす。

 短剣が輝くと、刃先は伸びだし、片手剣程の大きさとなった。

 巨大化した、その造形に快は記憶を電光の如く駆け巡らせる。

 同じく、教会で起こった記憶の一端を。

「あれは……ネーブが使っていた短剣じゃあないのか?! レクスのものとも似てる……!」

 快の発言に、少女は目を丸くする。

「ネーブ……? 神父様を知っているのか? まぁいい、君はどけ。……そいつを殺せない」

「なんで殺すんですか!!」

 快が叫ぶと同時だった。

 白髪の青年が、指を鳴らしたのは。

 青年が指を鳴らすと、周囲の音全てが揺らぎ、鈍くなり。

 快の目に映る風景全ては、薄い膜を張り詰めたかのようにぼやけていった。

 そして、少女が短剣――だった剣を天に掲げ、冷淡に言い放つ。

 逆十字を、背後にして。

「――少年、こうなると止まらないぞアイツは。どけ」

 青年が快に言うと、その隣でグリードは青年の顔と少女の顔を見定める。

 瞳を碧色に、光らせて。

「……おいおい、二対二ってか? こちとら手負いだぞ?」

 グリードの発言に、快は思わず隣を向く。

「ちょ、まだ戦うって決まった訳じゃないのに!」

 快がそういうと、グリードは笑みをたたえた。

 爛々と、無邪気なまでに。

「お前、俺を止めるって言ってくれたよな? ほら、止めて見せろよ……この状況全部を!」

 その表情は、快を試すかのような顔をしていた。

 快はグリードを無視し、冷静に二者を見つめる。

(まず……白髪は何するかわからない、周りの景色が一変……というか、なにかのフィルターでもかかったみたいになってるあたり、この空間の原因であることには間違いない)

 快が視点を定めたのは、痩躯の白髪青年。

 青年は、服の裾で軽く額を拭うと、少しずつ教会の壁の影に

 上を見上げ、次に少女を睨んだ。

(あの装備は見たことある、もし神父と同じ戦い方だとしたら、投擲してくるはず……でなくてもあの形状と発言なら……目的はきっと)

 快はゆっくりと後ろへ下がる。

 その瞬間。

 少女は屋根を蹴り、宙を舞い――刃と共に回転した。

 回転のこのそれを彷彿とさせる動きは、真正面の黒衣の人外を捉えて。

 グリードは、高速で入れ替わる刃の切っ先を、見据える。

 瞬時に伸ばされ――手袋に包まれた片手は、光輝に満ちた剣の矛先をつかみ取った。

 同時に、少女の回転していた体が空中で静止する。

「なんて力だ……!」

 少女が歯ぎしりに顔を歪ませるとグリードは少女の顔を睨み続けた。

 冷淡なる、表情で以て。

「おい人間、いきなり斬りかかるなんて随分なご挨拶だな?」

 低く発せられた声を前に、一瞬少女は怯む。

 隙を見計らったかの如く、刹那。

 グリードの拳が少女に向かう――。

「……どういう、ことだ……?」

 少女に向けて、放ったはずの拳。

 それは、少女の服で静止していた。

 時そのものが止まり、固定されたかのように。

 その様子を、眺めていた快の身は、震撼していた。

(動きは予想通りだった……動きだけは……けど、どういうことだ!? 人間の体をあんな、豆腐を崩すみたいに貫けるパンチをどうやって!?)

 快は、再び一歩下がり周りを見渡す。

 急ぐ頭、動悸に慄く胸を抑えせわしなく瞳を動かしていると、ある事に気付く。

 先程までいた、青年の姿が無かった。

(逃げたのか?)

 快が思考を巡らせているのも束の間、戦いは続行される。

 快がグリードのいる方向を向くと、そこには火花を散らしつつ、剣をいなしているグリードの姿があった。

 振り下ろされていく剣の一撃一撃を、降りかかる羽虫を払うかのように。

 光の五月雨を、ただひたすら腕での防御に徹する。

 拳を打とうとすれば、停止し。

 蹴り飛ばそうとすれば、足が空中で止まる。

 隙に対する応酬に、こちら側の隙が倍となって返って来ていた。

 瞬きすら赦さぬ、互いの連撃に――先に崩れたのはグリード。

 反射的に、宙を浮き続け、懐へ潜り込まんとする少女の攻撃に――がら空きになっていた腰に横蹴りを喰らわせようとしていた。

 それが、決定打となり――いよいよ、グリードの鎖骨付近胸部に剣が深く突き刺さる。

 突き刺さると同時に、肉は切り裂かれていき――少女の白装束に、暗紅色が加わって行く。

 黒衣の下に着た、紫の服を、乱暴に引き裂いて。

 少女は、無表情でグリードを切り裂いていった。

「……主の御名において、この世から去ね」

 快は、少女の前に駆け寄る。

「やめてって! もう!」

 少女と、路上で倒れるグリードの元へ駆け寄ると、少女は快の顔を見つめた。

 平然と、鮮血に染めた頬を――切り取った紫の服の一片で拭って。

「……なんのこと?」

 少女が笑うと、快の視界全てが再び、カメラのシャッターの様に切り替わる。

 快がふと周りを見れば、街並みは、これまでのものと変わりなく、鮮明に映っていた。

 正面を振り直せば、少女の白装束は純白に戻っており、倒れたグリードの体の上で座り込んでいる。

 全てが、夢幻と消えたかのようだった。

 少女が人差し指を口許に当てると、ようやく快に話しかける。

「……ここでは、何も見ていない。いいね?」

 少女が言うと、快は首を横に振った。

「何も見ていない? 馬鹿を言わないでください……寛大聖教のシスターさん」

 快が怒りを孕んだ、低い声で言うと――少女はグリードの首に刺していた剣を引き抜く。

 その大きさは、元のものとなっていた。

 そして、短剣となったそれを、少女は容赦なく快の喉元に突き立てる。

「じゃあ、主の名の元、あなたを――お仲間の元へ送るね。バイバイ」

 少女は、そっと、短剣の先端を快の顎に当てた。

 血が滴り始めてなお、快は睨む。

 その様に、少女は焦りを見せ始める。

「君、そのままじゃ死んじゃうよ?」

 快は、鼻息を飛ばし答えた。

「かもね」

「地獄へ、堕ちるかもよ? そぉんな幼い間に死んだら」

 少女が首を傾げながら言うと、快は――少女の顔に唾を吐く。 

「だからどうした。僕は悪魔になってでも生きる。死ねないんだ、仲間達の為にも。それに、あんたらの崇め称える主も僕がこの手で、いや、皆と一緒に倒した」

 快が冷ややかに言い放つと、より一層ゆっくりと刃先を、少女は皮膚へと入れていく。

「あっそ、じゃこうしよう。お姉さんの仲間になろっか。そしたらこの唾も許してあげるし、話しもゆっくり聞いてあげる」

 少女の答えに、快は――。

 一発の、鞭打で返した。

「願い下げだ、死ねないんだよ。お前一人の為に。お前の信じるものは勝手だ。けど、人外だからってこんな事していい理由には、ならないだろう」

 放心状態となり、手を止めた少女の顔に、短剣が喉に刺さっていく事を気にも止めず――額を合わせ、追い詰める。

「答えろ、エセシスター。説教おしゃべりは得意だろ」

 先天鏡が、鈍く光り輝いていた。

 眼光は鋭く、もはやその眼だけで少女の全てを圧倒していた。

 少女の顔が、徐々に青ざめていった瞬間。

 少女の肩を、黒い手袋が掴む。

「ひっ!」

 少女が後ろを向くと、牙を剥き出し笑みを浮かべる、グリードの姿が在った。

 グリードが、肩に力を入れた瞬間。

「止せ!!」

 声が、重なった。

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