禁忌の召喚者番外編 天護町を訪れた者の手記

二〇二二年 某月某日 現在時刻午後一時

 私は今日、世にも珍しい奇妙な県へ訪れる事になる。

正確に言えば、一つの県まるごとが町扱いになっている県だ。

奇妙な点というのは、それだけでなく――“日本地図に無い”というところにある。

それは科学と、ある程度の地域の環境整備が行き届いているこの現代日本において非常に稀有――否、もはや異常と言えるものだった。

存在しないと誰しもが思うであろうその場所は、今まさにバスの車内から映し出される光景が私に存在を訴えかけている。

 私がここを訪れることとなったのは、昨日の事だ。

私はしがない小さな新聞会社の社会部担当新聞記者をしており、警視庁から届いた、度重なる不審な通報の原因を突き止めに来たのである。

その通報はどれも似たもので、数にして二百は超えていた。

 曰く、『北陸地方の真北には、存在しない筈の県があり、そこには鬼が出る』という。

これだけ聞けばただのほら話や、都市伝説――所謂ネットロアを真に受けた者の末路だろうと鼻で笑って警視庁の方々は門前払いできたことだろう。

しかし、実際に“鬼”に遭遇したという若者や、鬼によって傷を付けられた者も居たという報告もあった。

通報の際に写真や、中には火傷の痕、爆破によって付けられたであろう傷を見せつける者も数多かった。

これらの二百もの通報によって、証言達が現実味を帯びてきているのは言うまでも無く。

それだけでなく、北陸地方へ向かった、私の勤めている新聞会社の中からその被害者が出ていた。

 被害者は、お騒がせな社会部の同僚である。

同僚の桂は普段、特に街の発展関係で目立ったスクープを好んで取材に行くような人物で、社内では『都道府県市街町マニア』とまで言われている始末だった。

現に、つい一週間ほど前に彼が取材を行った北海道のとある町で、5Gが本格導入されるという報道が、町で配られる記事を彩っている。

 そしてとうとう、誰もやりたがっていなかった、不審なる通報の件について、情報収集を仰いだのだ。

勿論、誰一人として協力しようとはせず、かくいう私もその中の一名だった。

あまりにも非協力的な全員を前に、痺れを切らした桂は、警視庁へと向かった後、交通費が出ないにも関わらず単身で北陸地方へ行った。

それから五日後――同僚が、被害を被ったという報告と、出社した様子からその様子を目の当たりにする。

桂が言うには、出くわした鬼に、右足を喰われ、桂はしばらくの間、仕事ができなくなったのだという。
 
 桂は右足を犠牲にしてまで集めた証言と、情報を私に話してくれた。

件の県は石川県の北、富山県の北西、福井県の北東にあるらしい。

私は、桂とデスクの位置が近いという事と担当部署が同じという事を理由に、桂から直々に頼まれ――結果酔狂極まり、ここにいる。

 このバスを捕まえるには、桂のメモが必要不可欠だった。

例の場所に行くためのバス停は、石川県にも富山県にも、かといって福井にすら無く、新潟の最西端を経由する必要がある。

 糸魚川市の塾やホテルなどの建物を横目にして歩き――長い路地を抜けると自販機の前に酷く錆びた標識版が見つかった。

その錆び具合と、恐らくは近隣住民すら存在を疑うような地名の書かれた状態から言って、その標識版は今にも撤去されかねないものであった。

 到底、バスが来るとも思えない場所に、汚れたベンチ。

機能しているかすら疑わしい標識版が、ぽつりとあるだけのバス停だったが、標識版と桂から渡されたメモによるとどうやらそのバスはきっかり十二時に来るという。

スマホを取り出し、時刻を確認してみると、現在時刻は午前十一時三五分となっていた。

 私は汚いベンチについた蜘蛛の巣を軽く手で振り払った後、腰を下ろしていった。

万が一に備えて、それと時間潰しも兼ねてスマホの中に桂のくれた情報をメモアプリに書き留めていると、噂のバスがやってきた。

 どのような奇怪な町へと誘う乗り物かと思わず身構えたが、バスは至って普通で、なんならこの地域で使われているものかとさえ思う。

外装が普通ならば、無人か、世にも珍しい内装に違いないとも思考を巡らせドアの先の階段を上がったものの、そんな事も無く。

色白茶髪の若者や、隣の少女と談笑に耽る黒髪の青年、杖をつきながら眠りこける老人等色々な人がひしめきあっている。

 邪推に終わったかもしれない予想を誤魔化す為にも、私は吊革を握り、座らずに立っていることとした。

否、実際バスの車内においては邪推に終わったのである。

 現に、こうしてこの手記を綴っている間は、何も起きなかったのだから。

さて、この続きは二時間後に書くとしよう。

 現在時刻は午後三時。

一時間も立っているというのは、やはりどうあがいても辛いもので、足がしびれてきていた。

途中途中で、下車する人々の姿が見受けられたので、隙を伺って席に座ろうとしたところ――再び新たな面子がやってきて、私の狙っていた席に堂々と座ったのだ。

悔しさと、少しの怒りを胸にしつつ、黙って私は東の窓から覗く海の景色に没頭する事にしていた。

 午後の太陽に照らされた水平線をきらめかせる海の、なんと美しいことか。

その時の水平線はまさしく金箔を垂らした絹糸を連想させた。

そして、その絹糸の下に、白い光のカーテンが垂れている。

嗚呼、バスの車内に揺れる音さえなければ、光のカーテンの鳴らす潮騒が聞けたものを!

 そんな思いに駆られつつ、今度はふと西を見てみた。

西の方では、普遍的な住宅とビルの数々が並びわたっていた。

 私は再び、身構え――とうとう、降りるときがやってきた。

標識版には『天護町南市』と書かれていた。

 バスを降りれば、辺りはしんと急に静まり返ったような気がしてくる。

密かに聞くことを望んでいた、潮騒だけが私の心を落ち着かせていた。

 タイミングの悪いことに、どこかで読んだ、アメリカの頽廃的な漁村の話をふと思い出す。

その話では、地図に無い場所で、異形の魚人がひっそりと暮らしており、更にはその場所に引きつかれたものもまた、悲惨と呼べる狂気に陥ったという。

脳内で勝手に照らし合わされ、それは今の状況との奇妙な合致を匂わせてならなかった。

 だが、その杞憂も簡単に打ち砕かれる。

よく考えてみれば、バスの車内の客人はもれなく全員、確実に人間の形をしていたし、この住宅街も、どこにでもあるような造形をしていた。

地図に無いというのも、閉鎖的な空間というわけでもなく、これといった特徴も無い上に他県へ住民たちが行き交っているところを見ると、地図に登録を申請していないということが不審感の正体なのだろう。

 私は楽観的にとらえて、歩みを進めた。

歩みを進めていくと、乗用車が道路を通過しているのが見える。

車種も多種多様で、両脇の歩道と住宅壁の間の家前を見れば、子供が駆け回り、サラリーマンと思しき男性が歩いている様子が見られた。

非常に、ありふれた光景が広がっていた。

 私が町を歩いている中で、散歩をしていたご老人と鉢合わせた。

私は、軽く挨拶をして、すかさずこの町が何故地図に無いのか話を聞いた。

 ご老人曰く、「この地が呪われているから」だそうだ。

さらに訊ねてみると、日本は四十年前から化け物がうろつくようになり、特に化け物による被害が多いこの場所を隠蔽した、という。

そして、この場所には特に危険な――対処のしようがない怪物が居るとも聞いた。

 私は老人に別れを告げ、今度は北へ向かった。

現在時刻午後四時三十分。

私は歩き疲れて、タクシーを利用して観光名所へと向かった。

タクシーの運転手にも、我ながらせわしなく質問する。

「天護県は、どこからどこまで続いているのか」と。

運転手は、「わからないし聞いたこともない」とだけ答えた。

 ほぼ、答えとなっていない答えを返され、私はその観光名所に相応しい街へ着いた時点で代金だけ渡し、早々にドアを開ける。

北へ北へと向かえば向かうほどに風景は発展していき、しまいには大都会の真っ只中に来てしまっていた。

スマホの地図アプリを覗くと、元の地点から三五キロも夢中で移動していたらしい。

 しかし、こうして奇妙な事を追っていると、珍事に巻き込まれることもあるようだ。

なにやら、遠くでは映画の撮影らしきものがやっていた。

撮影は派手なもので、人型の怪物が糸を操り、道行く人々をからめとっている。

もう少し、近くで見てみよう。

そして、ぜひ話を伺うのだ。

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