「さて、と。あいつはうまくやってるかな」
カウンター席に座り、黒ビールジョッキ片手に呟くソロム。
そこはドイツ、バイエルン州の老舗酒場。
店内の客はほぼ全員、壮年から老人とみられる男性である。
その中で、ソロムは外見年齢的に異彩を放っていた。
「お客さん、ここは若い人が来るような店じゃあないのによく来たね」
笑顔で、白ひげを蓄えた店主が語り掛けた。
ソロムはジョッキに並々と注がれたビールを一気に飲み干し、店主に笑みを返す。
「おいおいここは酒場だろ? だったら美味い飯と酒がありゃ俺はどこだっていいさ。あと、おかわりだ」
ソロムがジョッキを渡すと、店主はわずかに頷き、密かな笑みをたたえつつ、ジョッキに黒ビールを注いだ。
「若いのに、飲みっぷりが良いね、それにいい酒場ってのをわかってる」
「おう、雰囲気からわかるぜ、味覚の肥えた人が来るってのがね」
再びビールを飲むソロム。
店主との会話を弾ませていると、後ろの席から人がやってきた。
「おい若いの。一つ賭けをしねぇか?」
話しかけてきたのは、巨漢の大男だった。
大男がソロムの隣に座ると、大男は袖を捲り腕を立てる。
「腕相撲で、お前が勝ったら俺がこの店のメニュー全部奢ってやる。だが、お前が負けたら俺に奢れ」
「ふっ、アーベルク。手加減してやるんだぞ? そういってこの店で悉く奢らせてきたんだからな。すまんねお客さん」
ソロムは右手にジョッキを持ち、左手を立てる。
「お、いいぜ面白れぇ。 けど、ビール飲みながらでいいか? じっくり味わいたい」
ソロムはアーベルクの手を握る。
「オルラァ!!」
アーベルクは全力で腕に力を籠める。
アーベルクの腕は、丸太の様に太く、血管を怒張させていた。
客の誰もが、勝敗の結果は、火を見るより明らかかのように思えた。
しかし、アーベルクの額からは汗が噴き出ており、ソロムの腕は全く動いていなかった。
「なっ………なんだお前!? 腕が鉄みてぇに固いぞ!?」
ソロムは欠伸をしながら、ビールを飲み干す。
そして、アーベルクの腕を一瞬でカウンターに触れるか触れないかのぎりぎりの瞬間まで押しやった。
「おっわぁ!?」
「頑張れ~、今どきの人間にしちゃ強いな」
必死にアーベルクは押し返そうとするが、ピクリとも動かせずにいた。
とうとう、アーベルクの腕はピタリとカウンターテーブルに付いた。
「嘘だろ……………………!?」
闘いの様子を見ていた客たちは、一斉に歓声を上げる。
「お客さんすごいね……………アーベルクは無敗だったのに」
店主は目を丸くして拍手を送る。
「名誉傷つけちまったかな、んじゃあ………………」
ソロムは、上着から煉瓦の様に分厚く重ねられた札束を取り出し店主に渡した。
「店主、今日はパーッと飲りたい。みんなにこの店のビールありったけ配ってくれ」
「うおおおおおおお!!」
「アーベルクさん、だっけ。お前も飲もうぜ、昨日の敵は今日の友ってね」
俯くアーベルクの背中を軽く叩き、笑うソロム。
「なんてお客だ…………かしこまりましたとも」
寂れていた老舗酒場は、かつてないほどの活気に満ちた。
客は酒を浴びるように、運ばれる料理の全てを噛みつぶすように腹に収めていく。
歓声と賑わいの渦に包まれ、やがて時間は店を置き去りにしていった。
客の全員が酔いつぶれ、眠り、あるいは帰った頃には外は深夜になっていた。
「よっし、皆寝たな」
上着を整え、ソロムは札束の山をカウンターに積んで店を出る。
店から出ると、ソロムは周囲を見渡した。
「おい、人間を狙ってるのはバレバレなんだよ」
ソロムは背後へ転換し、建物の屋根へと飛びあがる。
飛び上がった瞬間、ソロムは腕を水平に動かし、指先から魔術の弾丸を瞬時に繰り出す。
弾丸は全て、屋根の上に居た悪魔達に命中した。
「何故バレたんだ………………グハアッ!」
弾丸が命中した悪魔は、肉体をその場で消滅させていく。
例外は、無かった。
屋根に足をやり、立つとソロムは下を見下ろす。
見下ろした先には、街灯に照らされた様々な姿の魔族達が、あらゆる建物へ入ろうとしていた。
「させるかよ」
その場から跳躍し、建物に囲まれた街の中の魔族の下へ向かい拳を振るう。
魔族達は何が起こったのか理解の追いつかないままに、体を消滅させていく。
ソロムは、ただ作業的に拳を振り上げ、あるいは突きを繰り出す。
周りに広がるは、そこに居たであろう魔族達の血だまり。
街の二km先には、その惨劇を見ていた、悪魔属の魔族が街から逃亡せんとしていた。
「ひぃっ! 化け物だあ!!」
悪魔が後ろを向き、全力で走ろうとした時。
突然、壁に激突する。
激突した勢いで尻もちをつき、もがいていると悪魔は上を見上げ絶句した。
遠くで見ていた”怪物”がそこに居たのである。
「ぎゃあああっ!!」
叫ぶ悪魔に、ソロムは人差し指を口許に持っていった。
「しーっ………静かに。眠ってる草木が飛び起きちまうだろう」
「たっ、頼む見逃してくれ!! 俺は大人しく魔界に帰るから!」
悪魔は涙を流し、土下座した。
「あっそう、じゃあ帰る前に質問いいか?」
上着のポケットに手を入れながら、歩み寄るソロム。
「なっ、なんなりと……………!!」
悪魔の頭を撫で、ソロムはしゃがみ込み耳打ちする。
「地上界へ出向く前、お前は誰に促されて来た」
質問を聞き、悪魔は目を見開き、額から脂汗を滝の様に流していた。
「………くっ、口留めされてる! 俺みたいな下っ端が言うと殺されちまうんです!」
「あぁそう、でもお前らって基本不死身に近いじゃんか。そんな奴らがどうやって死ぬんだよ」
笑って、悪魔の着ている服の襟元を掴むと、悪魔は青白い肌をさらに青く染める。
「俺は思うに、魂が消滅した瞬間こそ本当の意味で死ぬ瞬間だと思うんだ」
掴んだ手を、ソロムは一気に顔へ近づける。
「お前、”死”んでみるか?」
「ひいいいっ!! すみませんでした!! すみません!!」
「じゃあ、首謀者を言ってくれ。後で肉体が消されるのと、今ここで魂が消されるのどっちがいいって話だ」
「言っとくけど、俺はさっきから魂は消しちゃいねぇ。ただ肉体を消滅させただけ。仲間は魔界で復活するぜ、多分だけどな」
穏やかな声色に秘めた、不穏な空気と威圧に悪魔は涙を流しながら言う。
「…………俺は、魔王の器の方々に命令されてこうしたんです…………人間を攻撃し、塵すら残すなと」
「あーはいはい、で、名前は?」
「ひいっ! そう! 確か四体います! 名前は……………」
「バエル様! アマイモン様! アスモダイ様! アバドン様です!! はい!」
それを聞き、ソロムは掴んだままにしていた襟を離す。
「おっけ、じゃあ次に居場所………もしくはどこへ向かったか教えてくれ」
「………記憶の限りでは、バエル様は日本へ。アマイモン様と他の魔王の器達の向かう先は、覚えておりません…………」
「なるほどな、次はそいつを尋問すればいいわけだな。よし、事情聴取は終わりだ。好きにしていいぜ」
ソロムがそう言うと、悪魔は地面に魔法陣を展開した。
「心配するな、お前が苦しむことのないように、もれなく全員消滅してやるから」
魔法陣に吞まれていく悪魔に、微笑んだその時―――。
一本の矢が、悪魔の頭を貫いた。
矢は光を放っており、悪魔は苦しみに悶えながら魔法陣へ吸い込まれていった。
「…………余計な事をするんじゃあねぇよ」
ソロムは矢の飛んできた西の方角を睨む。
するとそこには、二枚の翼をはためかせる大天使が居た。
大天使の手には、弓が握られている。
「悪魔を罰する隙を与えてくださり、そして罪なき人々をお守りくださり誠に感謝申し上げます」
大天使はソロムの下へ降り、お辞儀をした。
「…………は?」
お辞儀を目にした直後、ソロムは高速移動し、大天使の首を掴んだ。
「うぐっ…………何をするおつもりですか?! あなたは我々の味方では無かったのですか!?」
首を掴まれた天使は、足を動かし、必死に抵抗した。
大天使の言葉を聞き、ソロムは碧色の瞳を闇夜に妖しく輝かせた。
「俺は、お前達の味方になったつもりは一切無い。 ただ、俺は世界を侵害する奴を倒し、元の世界へ返すか消すだけ」
「それが、例え徳の高い聖人の所業であろうと、邪悪なる魔物の仕業だろうと関係ない」
ソロムは、片手に漆黒のオーラを纏いながら語る。
「くっ……なんと傲慢な………神となったつもりですか?!」
「神? 生憎神なんてものになる気は無い」
ソロムの額に、皺が寄り始める。
「魔族がこの世界を侵攻するなら俺は容赦なく止める。だが、それを追ってこの地上界を戦場にして天使や神々が攻め入るなら同様に俺は敵とみなす」
「地上界、天界、魔界、冥界……………………それぞれの世界には、居るべき種族と場所がある。それを侵す者は如何なる理由が有ろうとただの侵略者に過ぎない」
大天使はソロムの言葉に、異を唱えようとする。
「では、悪しき者だろうと存在を許すというのですか! そして、退廃のままに朽ちさせると!?」
ソロムは、大天使を嗤う。
「滅ぶなら滅べ、悪の存在もよしとしよう。自然とそうなったのなら仕方ない。だが、その要因が本来居るべきものであるかどうかにもよるがな」
「それともう一つ、お前俺の事を傲慢と言ったな?」
ソロムの首を絞める力は、ゆっくりと上げられ、大天使の体は宙に浮き始めた。
「くっ、撤回はしませんよ……………!」
「自分達こそが正義と宣い、普段は力を貸さない、言葉に耳を傾けない癖に罪人とみなした異種族に罰として死を与える。お前らの方が今はよっぽど傲慢だぜ?」
ソロムは忌々し気に言い放ち、片手の漆黒を大天使の翼に放つ。
翼に当たると、翼だけが消滅していった。
それを見てソロムは首を絞めていた腕を離す。
乱雑に手を離され、地面に落ちた大天使は咳き込みながら嗚咽する。
「この世界の外来種のお前らの都合で、世界が滅ぶような事はあってはならない。脅かされる事なんてあっていい訳がない」
「神仏、魔物、人間。敵が多かろうと俺は世界のバランスが崩れることになるなら―――――――」
「俺は、悪魔にも、死神にも、魔獣にも、神にも、天使にも、神獣にもなろう」
大天使は体制を立て直し、憎々し気に捨て台詞を吐く。
「………それを聞いて我らが神々がお赦しになるとでも?」
「赦し? んなもん求めてねぇよ。はなっからな」
「お前らの上司の連中に伝えておけよ」
ソロムは翼を失った大天使に、顔を近づけ、人差し指を頭に向け、先端が二つに裂けた舌を出す。
「侵害する者は神だろうとくそったれだ。 ってな」
ソロムは呆然と立ちつくす大天使をよそに、街の奥へと歩いて行った。
口笛とともに、何事もなかったかのように歩く、その後ろ姿の前には、夜明けの空が迎えていた。
(さて、そろそろさっさと”決着”をつけないとな………もう尻ぬぐいの巡礼は終えたいし)
思いを馳せながら、首筋に手を置き念じた。
念話魔術を使うのである。
「快、こっちは朝だよ。悪い、案外遅くなっちまった。時差あるし待ち合わせの時間なんてとっくに過ぎたろ?」
『なにやってるんだよもう! …………まぁいいけど。それより、嬉しい報告があるんだ』
「お、いいね。こっちも嬉しい情報が入った。今からそっちに向かって話す。どこに居る?」
『今は例のホテルの部屋だよ。来れる?』
「おう、しっかし、飲んで戦って戦って疲れたぜ。ちゃちゃっと会議して、眠りたいよ」
ソロムは軽く全身を魔力に包んだ。
すると、一瞬にして自身の予約を取った、快との部屋にたどり着いた。
「うわっ!」
突然目の前に音も無く現れたソロムに、快は体を一瞬震えさせベッドに後ろ向きに飛び込んだ。
「ただいま」
穏やかに笑い、ソロムは快の隣に座った。
隣に座るソロムに快は、これまでのいきさつを話し始める―――――――。
~おまけSS【ホテルにて】~
(台詞会話のみのショートストーリーになります。また台詞前には、わかりやすいように名前がついています)
快「ねぇ、ソロム。僕病気が治ったら何食べよっかなあ」
ソロム「ん? どんなの食べたいんだ?」
快「そりゃあ肉料理かな! 美味しそうだしゲームとかでもキャラが美味しそうに食べてるしね!」
ソロム「肉料理か! いいね酒の肴にぴったりだ」
快「? 肉料理って言ってるのにさかな………?」
ソロム「ぷっ、おう。そうウケを狙って時間を割かないでな」
快「なんかからかわれてない僕!?」
ソロム「なに、ごめんよ。肴ってのはつまみの事だよ」
快「へぇ~~………ってお酒飲むの!? ソロムって歳いくつだっけ!?」
ソロム「あぁ~、永い事生きてるから忘れちまった。そっか、見た目若いから法律的にどうかってことか」
快「もう僕は突っ込まないぞ」
ソロム「あぁ、細かい事は考えなさんな。怠いだけだし」
ソロム「そうそう、肉料理といえば、ドイツの肉料理は美味かったぜ」
快「いいなぁ、何食べたの?」
ソロム「シュヴァイネハクセ、アイスバイン、レバーケーゼ、ブルートヴルスト」
快「えと…………日本語でOK」
ソロム「要するに豚肉のでっかい焼き料理と、豚の内もも肉を茹でた奴と、まぁ、でかいサラミに目玉焼きをのっけた奴。それと豚の血のソーセージだよ」
快「………え、豚の血? てか豚料理多くない? 牛は?」
ソロム「あるにはあるけど、昔は土地の栄養が無いから作物が育たなくてね。生えるのは雑草ばっかりで、雑草でも食えて繁殖力の高い動物を家畜としてた。牛は牛乳だとかチーズが売れるから屠殺するわけにはいかない」
快「そこで、豚」
ソロム「そそ、で、ようやく豚ちゃんを繁殖させても冬には雑草も食べられないしドングリもあげられない。待っているのは餓死だけ。作物はあるにはあるが育ちにくい」
ソロム「だから、肉の塩漬け文化が流行って発展する形でソーセージ、ハムができたんだ」
快「へぇ~~……………なんでそんな雑学しってるの?」
ソロム「だって、その現場見てきたもん。あ、因みにドイツの主な作物として有名なじゃがいもは、実は発見されてから最初期は観賞用の植物だったんだぜ。でもあんまりにも昔は食物に困ってたんで一七~一八世紀、ある地方から持ち込まれて食用に使われるようになって…………………」
ソロム「当時のドイツの王様、大帝が広めたのさ」
快「へぇ…………しかし、それを現場で見てきたとかソロム一体何者……………………?」
ソロム「あ、因みにその大帝がビール産業赤字になってるからってコーヒーに税かけ始めた頃から大体一二年後あたり、日本は江戸時代で天明の大飢饉が起こったりその後富士山が噴火したり大変だったんだぜ?」
快「日本の情報にも隙が無かった?!」
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