怪人の魔の手から逃げ延びた快は、足を休まていた。
やってきた先は、公園から西へ四km離れた商店街。
動悸の治まらない胸を抑えつつ、快は呼吸をその場で整える。
(あんな奴を相手にするっていうのか………)
恐ろしく伸びた右手の、血まみれの怪人。
トイレの床中に乱雑に置かれた、骸達。
一瞬の出来事でありながらも、服にこびりついた強烈な臭気が強制的に記憶を目覚めさせた。
快は、商店街を見渡す。
商店街では、たった四km先に起きた事、それを知らない人間達が普段通りの営みを見せていた。
喧騒に揉まれながら、会話をする人や手をつないで片手に袋を提げた親子に、若者達―――
全員が、町で起こり始めている”異常”を知らずに生きていた。
たった独り、快を除いて。
快は立たされ、顔を青ざめさせていた―――狂気の非日常と、平凡な日常との境目に。
呆然と立っていた、その時だった。
「こんにちは」
快の背後から声が聞こえたのは。
「だぁっ!?」
いきなり話しかけられ、快は勢いよく尻もちをつく。
快が後ろを振り向くと、そこには快と同い年くらいの少年が立っていた。
少年は、純白の髪と肌をした、初対面の快の眼からも思わず美しいと思ってしまうほどの容姿をしていた。
少年は儚げで無機質な表情を浮かべ、快に手を伸ばした。
「大丈夫?」
差し伸べられた手を快が握ると、その手は氷の様に冷たかった。
「大丈夫です、えっと……」
「あぁ、僕の名前はアイネス・ヴァイス・シュメタリング。ちょっと人探しをしててね」
快は立ちあがった。
(長い名前と変わった目の色……外国人なのかな、でも日本語が流暢だし………)
そう快が思っていると、アイネスは語り掛ける。
「その指輪、珍しいね。見せて」
「えっ?………いいけど………」
アイネスに触れられるまま、快は人差し指を差し出す。
黄金の指輪は、日に照らされ光っていた。
「………Es ist ein wunderschöner Ring」
独り言を呟き、アイネスは快の顔を覗き込む。
「なるほど、君はどうやら僕の探していた人らしい。少し目を瞑ってくれないか」
快は困惑した様子で戸惑いを見せつつも、頷いた。
快が目を瞑ると、触れられた手からじわじわと手が浮かび上がるような感覚に襲われた。
「一……二……三」
「さぁ、もういいよ、目を開けて」
快が言われるがままに目を開けると、目の前には巨大な古びた洋館が現れていた。
周囲は黒い霧で覆われているが、正面に見える門と館の前だけ黒い霧は漂っておらず、まるで世界から追い出されたかのような雰囲気すら感じさせる。
「え………ここはどこですか?」
「大丈夫、ここは僕の家だよ。今は誰も居ないけど」
アイネスはそう言いながら片手を門の前で広げる。
すると、魔法陣が門の前で出現し魔法陣が消えると共に門が開かれる。
開かれた門の先へとアイネスは快の方に途中途中で向きながら歩いていくと、館の玄関が開かれていった。
館の中は、酷く荒廃しており、階段は階段の形を成しておらず、その壇上のステンドグラスは割れ、埃だらけの床は所々に穴が空いていた。
階段の隣の台には、割れたスノードームが飾られていた。
快がスノードームを見ていると、アイネスが横から話しかけた。
「そのスノードーム、横にゼンマイがあるだろう?……回してごらん」
快はスノードームの側面についた固いゼンマイをねじり、回した。
回すとスノードームからは、どこかノスタルジーに駆られるような、どこかで聞いたことがあるように思える曲が流れる。
「僕の故郷の唄だよ、母さんがよく子守唄に歌ってくれてた……ここじゃ”もみの木”って言うんだっけ」
「へぇ……あの、質問いいですか?」
「何だい、あと、敬語は止そう」
「僕を、ここへ連れてきた理由は何?」
口から出たのは快にとっては当然の質問だった。
アイネスは、依然としてまたもや無機質に答えた。
「君が、僕の探していたかもしれない人かもしれないから」
そう答え、アイネスは床に倒れていた椅子に向かって人差し指を振った。
すると倒れていた椅子は浮かびあがり、快の背後に置かれる。
「うわあっ……さっきの門と言い、君は何者なんだ!?」
「魔術を知らない……じゃあ教えたげる、僕は簡単に言えば魔法使いだよ。火を起こし、風を回し、水を生み出し雷を落とす………そんな事ができる魔法使い」
アイネスは埃の被ったティーテーブルを魔法陣から出現させ、快の正面に配置した。
やがて小型の魔法陣が徐々にテーブルの上に展開され、そこからティーカップや様々な、快の見た事の無い茶菓子の乗せられた皿が現れた。
「君は大事なお客さんだ、好きなものを食べながら話そう。レープクーヘン、アーモンド、シュトーレン、シュネーバル………どれも一級品だよ」
そう語るアイネスの声は、若干ながらも穏やかに感じさせる声だった。
しかし、快は首を横に振る。
「お菓子用意させといてごめんだけど、僕内臓系の病気で……」
それを聞いてアイネスは快の首筋を覗いた。
「あぁ、君も僕と”同じ”か。………でも大丈夫、これは僕の魔力で出来た魔術だから」
快にとってわからない単語を続けざまに使われ、再び困惑する快をよそにアイネスは目の前で椅子を取り出し座り、小皿のケーキ……シュトーレンを手でむしり、口の中へ運んだ。
「んっ」
そして、口の中を開け快の目の前で見せつけるとシュトーレンのかけらがあるはずの口の中には、何も残っていなかった。
「え……?」
「つまりこういう事だから、食べても何も胃の中に残らない。いわば味の付いた幻覚だよ」
快は胸を撫でおろし、茶菓子の中の一つ、シュネーバルをつまんだ。
持った時の重量や、糖分特有の質感が指に伝い、口に運び噛むと口の中で独特の食感が広がった。
咀嚼した瞬間、食感は消え味だけが口の中に残る。
快はそれを飲み込もうとすると、既に口の中で味ごと消えていた。
「さて、本題に入るけどいいかな」
紅茶を飲みながら、アイネスはゆっくりと訊く。
「うん、話して」
「君、その指輪はどこで手に入れたんだい?」
アイネスの問いは、快の意に反して居たってシンプルなものだった。
「あぁ、銀髪の………黒い服を着た人からもらったんだ」
即答だった。
「銀髪の黒い服……緑色の瞳をしていなかったかい?」
「? そうだけど……………………」
答えると、アイネスはしばらく考え込んだ様子で目を逸らした。
「ねぇ、その人は怪しいとは思わないか?」
沈黙を破ったのは他でもないアイネスだった。
「怪しい………」
(思えば、そうだ。いきなり目の前に現れて、実は怪物退治をしていて、その力を与えるなんて都合が良すぎる。なにより、あの青年の雰囲気からして……)
懐疑と疑問を巡らせていると、アイネスは語った。
「実はね、僕も君と同じ病気でね。………この原因、なんだかわかるかな」
「確か、原因は二つあるって………」
快が言いかけた時、アイネスが口を開く。
「他でもない、その銀髪の怪物だ」
(ソロムが元凶の一つ?だとしても、なぜこんな自分の足跡を残すような事を……?)
快は、深まっていく謎に黙殺されながらアイネスの話を淡々と聞く。
「そのタコの痣……いや”烙印”は、銀髪の怪物の餌である証拠だよ」
「餌?」
「銀髪の怪物は、四十年前………僕の故郷に降ってきた隕石と共にやってきた。いや、蘇ったというべきかな」
「その時の復活は、不完全な状態だったらしく世界中の一部の赤子にタコの烙印を付けていった。………そして、発病し倒れた者の魂を食べ、自身の体を徐々に復活させていったのさ」
アイネスの声色は、無機質だが徐々に、暗く落とされていった。
「僕の父と母は、怪物から目を逃れていたけど………僕が生まれ、僕に目を付けられた」
快は、アイネスの話を聞きやっと反応を示す。
「……僕の父さんも母さんも、僕が生まれて事故で死んだと言っていたけどもしかして……………」
アイネスは縦に頷いた。
「きっと、そうだよ。………僕の父と母は、魔術師だった。だから館へ侵入してきた怪物に必死になって戦って………殺された」
「でも死ぬ間際、使用人と一緒にここ日本の別荘に転送してくれたらしいけど、意味は無かったね……」
「意味が無かった って?」
「あぁ、僕は結局、日本を訪れた怪物に使用人を殺されてね、無抵抗のまま烙印を押された。痛かったよ」
機械的に語るアイネスの瞳には、快には魂の息吹を感じられなかった。
「待って、烙印はどうしたの? その体……痣が無いみたいだけど」
そう問うと、アイネスはただ反応を示すだけの様に答える。
「あぁ、今いるのは僕の思念体だよ、いわば半分だけ幽霊さ」
それは、快にとって衝撃の一言だった。
「半分幽霊って…………死んでるのか!?」
「いいや、僕の本体は生命活動だけはしてる。魔術を使って、病の症状で完全に死ぬ前に魂を切り離したんだ」
不思議と、説明を受けて快は納得した様子で頷いた。
(なるほど、だから足音が無かったし手が冷たかったわけだ)
「僕の自己紹介はこれで終わり。どんな奴を相手にしているか、わかった?」
(通りで……じゃあ怪物退治をしているのは獲物が殺されない為……自衛の手段を持たせたのもそうだろう。仲良くするフリも全て演技だと思えば合点がい)
(待てよ……?)
納得しつつも快は、テーブル上の茶菓子を食べつくし、質問を投げかける。
「待って、じゃあ怪物の言っていた世界中の魔族って一体いつごろから出現するようになってるんだ?」
「三九年前から……丁度復活してから一年後、魔界と地上界、天界、冥界が繋がってしまったらしいけど、これも恐らく銀髪の怪物の影響」
アイネスはそう言い、テーブルの上に新聞を出現させた。
新聞は、快の知らない未知の言語で書かれており魔法陣が描かれている。
そして、その下には―――ソロムに酷似した、怪物の姿が描かれていた。
「これが、魔術師の間で流通している四十年前の新聞。父と母が生前に、僕にこういう情報を残しておいてくれたんだ」
「…………でも、なんでその………冥界?だとがつながってなんでまた魔族が暴れているの?」
「そこまでは流石にわからない。………さて、そこでだけど」
アイネスはポケットから銀のカードを取り出した。
そしてアイネスは銀のカードをその場で掲げた。
「それって―――!」
快は小袋から印章封印札を取り出した。
自身の持つ印章封印札と、アイネスの掲げるそれとを見比べると、全く違いは無かった。
(間違いない、あれは確か弱った悪魔を封じて使役するための物だ。ということは――――)
アイネスの持つ札からは、悍ましいオーラを放出させ、アイネスの周囲に巨大な魔法陣を展開させ、同時に三角形の紋がアイネスの目の前の床に現れた。
「下がって」
アイネスがそう言ったのも束の間、三角形の中から巨大な怪物がゆっくりと姿を現した。
快は巨大な怪物を前にしてすぐさまテーブルから離れた。
やがて、怪物はその全身像を露わにした。
巨大な蜘蛛の足から伸びる蛙の手に猫の爪を生やし、三つの頭部と複眼を持つ全高五mはあろうかという巨体。
「gxj!! 3ksgk!!! 」
未知の言語を怒鳴りながら、快へ寄る怪物。
やがて、怪物は妖しい光を放ちながら人型へと変わっていった。
その人型は、快の見覚えのある姿だった。
八本指の、今朝見た怪人である。
「ひぃっ………! お前は…………!」
「ほう、この私に向かって………まぁ良い、今は殺さないでやろう」
腕を組み、怪人は右手を抑える。
「バエル、この人は止めて」
アイネスは、静かに言っていた。
「………ねぇ、君。僕と一緒に銀髪の怪物を倒そうよ」
アイネスは快に近寄り、快の肩を指先で撫でる。
快は、こちらを覗くアイネスの左右の違う目の色を見て思いついたように顔に指輪を向ける。
すると指輪の宝石は妖しく輝きだした。
「何してるの?」
宝石は、ホログラムの様に文字列とアルファベットと数字を映し出した。
「”魔力C二 物理 Z 瞬発力E三 肉体Z 知恵 N三 知識 E二 総合脅威度:C 危険”……?」
(まさか、これって各分野の強さと総合的な強さ………?)
快は次にバエルの方へと宝石を向ける。
すると、同様にホログラムが表示された。
「”魔力 A 物理 A二 瞬発力 A 肉体 A 知恵 A 知識 A 再生力D三 総合脅威度:A二 逃亡推奨”……………なるほど」
快は確信した。
これは、相手の強さ――即ち脅威度を測定する為の物だと。
快が宝石を使っていると、アイネスは更に寄って手を握った。
「僕らで組んで、一緒に怪物を倒そう。簡単な事だろう」
謎へと挑み、真実に挑戦し、新たな深淵へと快は引きずり込まれていく。
しかし、引き込まれ、誘われた深淵はまだほんの浅瀬に過ぎない事を後に知るのである―――。
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