孤独なる魔王偽典≪イフ≫ 最終話 終曲

孤独なる魔王

「跪け、雑種ども」

 彼女の声に、反する者は誰一人として居らず。

彼女の名は、プエルラ・テネブリス。

たった一人の男を前に、敗北を喫し―――――復讐を果たした完全なる魔王である。

レクスを討ち、人間を滅ぼした、史上最悪にして最強の悪魔属。

 その呼び声は、悪魔属のみならず、他魔族の間でも広まっていた。

悪魔属の間では、同種族として異常だと言われる程に冷血と。

戦闘力に優れた亜竜属でさえ―――全種族を動員したとしても彼女を殺しきることはできないとさえ言われる。

 彼女の異常性は、由緒ある魔王選挙戦にて、現れた。

自らに対抗する魔王の器達を、武器の召喚・操作魔術を以て抵抗する間もなく、二度と対抗さえさせないようにしたのだ。

ルシファーに対し、全力の魔術を放たせる前に召喚魔術を使い剣の雨を展開し、手足を飛ばし。

ベリアルに至っては、首を跳ね。

ハエへ変化させた体のベルゼブブを前に、逢えて無防備な状態に見せかけ――体に纏わりついたところで、全身の光と闇の入り混じった独自の属性をまとった魔力を放った。

それによって、全てのハエは――反転浸食病に侵されただけでなく、繁殖能力を喪失させられた。

即ち、ベルゼブブの体内の代謝、肉体の再生力そのものを奪うに等しい。

 偉大なる三魔神と謂われた、高名なる悪魔属の誇りと力を奪い、闘いの一部始終を民衆へ見せつけ――プエルラは何者であろうとも自身へ逆らえぬようにした。

他の魔王の器、バエル・アマイモン・アバドン・アスモダイなどの同属すらも、束にし挑ませても、プエルラは無情にも悉くを返り討ちにしていく。

 憧憬と羨望の眼差しを、一身に民から受けていた魔王の器達を、一瞬にして撃ち滅ぼしていくプエルラに、民衆は絶望していた。

もはや、プエルラを止める者は――いない。

 原初の魔界を知る者達は、皆首を括り、あるいは捕食者のいる海へと身を投げ出していった。

旧き魔界の民たちの集団自殺は、”プエルラ・テネブリスが支配権を永遠に握り続ける魔界に、希望など無い”という事を、如実に物語っていた。 

悪魔属にとっての地獄が、そこにはあった。

 魔界中央部、テネブリス城にて、プエルラは今日も今日とて玉座に座していた。

幼き体に、黒外套を纏って。

「ユンガよ」

「はっ」

 プエルラが弟の名を呼ぶと、弟たるユンガ・テネブリスは瞬間移動魔法を用い、一秒も立たぬうちにその姿を現した。

自身に跪くユンガの姿を見て、プエルラは口許を歪める。

口許は、人間の頭蓋でできた盃に映し出されていた。

「可愛いユンガよ、哀れなユンガよ―――何故かくも貴様は―――」

玉座から離れ、盃を片手で砕くとプエルラがユンガの顎に触れる。

ユンガへ言葉を放つ、その声色は静かなる吹雪の如く冷ややかだった。

顎から胸ぐらへと、プエルラの手が下がって行くと――その手は、ユンガの胸を貫いた。

 玉座前の群青色のカーペットは、鮮血によって染め上げられていき、ユンガの胸から手が抜かれると――胸の断面は、鈍く光を放っていく。

 ユンガはただ、呆然と口と目を大きく開け、胸を抑える他になかった。

「――矮小で、余に及ばぬ程に愚かなのだ?」

見上げたプエルラの顔から、吐き捨てられる言葉にユンガは無言で震える。

 震えるは、心からか。

痛みを、体が訴えているのか。

それすらわからぬままに、ユンガが静かに横たわると、プエルラは鼻息を一つ飛ばしユンガの前から消えていった。

(どうして、どうしてこうなったのだろう。何が、姉上をこうさせたんだ?)

混濁する意識の中、ユンガは走馬灯と共に記憶を辿る。

 
 約二万年前、魔族はとある一国の王によって壊滅寸前においやられた。

プエルラ、ユンガのテネブリス家や、魔王の器などの魔族が、見境なく襲撃を受け、重傷を負った。

 テネブリス家も例に漏れなかった。

 その出来事は、当時王権を握っていたテネブリス家を中心とする、報復のきっかけとなった。 

そして名のある魔族達の計略により、いよいよ魔族と人類最強の男との最終決戦へと突入した。

大都市を、魔王の器達が破壊し、集落は魔族の軍団が攻め入り、街は洗脳を施した人間の団体が滅ぼしていく。

地球のほとんどを治めていた、大国を舞台とし、血で血を洗う――有史上最大の魔族と人類の最終戦争が繰り広げられたのだ。

 とうとう、戦いの中でプエルラは、壊滅寸前へと追いやり、一族を滅ぼされかけた相手と相対した。

光を操り、自らに病を植えつけ、魔界を蹂躙した憎悪すべき敵と。

 敵との戦いにおいては、プエルラは終始圧倒していた。

放つ大剣の一振りは、素早く重く王の体を切り裂き。

抵抗さえ許さず、魔術によって各関節を斬り飛ばしていくと、プエルラは大剣を――倒れた宿敵の前に突き刺した。

言葉を、聞き入れる事無く。

「愚かな。人間風情が驕って魔族に勝とうなど―――もはや時代遅れなのだよ。精々冥界で悔いて居ろ、貴様は何も守れなかった、とな」

 プエルラが王の前から背を向けると、片腕を上げ、念動魔術を行使する。

念動力によって、王の城全体が震えだし、激しい戦いの痕も相まり、城は崩落していく。

ガレキに埋もれ行く全てを、顧みることなくプエルラは城の正面から堂々として出ていった。

城が巨大なガレキの山と化すと、プエルラは雄弁に、かつ高らかに宣言した。

「聞け、人類の希望は今ここで潰えた。踏みにじられた深淵が、今こそ雷鳴をも覆う瞬間。ここに、魔族の完全勝利を宣言しよう」

 勝利宣言と共に、怒号にも等しい魔族の低く、おぞましい歓声が響き渡る。

同時に、祝砲と言わんばかりに各魔族は両腕を天に掲げ、魔術を放っていく。

亜竜属、魔獣属、悪魔属、吸血鬼属―――それらの放つ魔術は、人間の街に降り注いでいき、建造物ごと人間達を葬って行った。

 逃げ道など無く、世界の終末と形容することすら温い、悪逆極まりない人類冒涜の図。

それを指示するは、狂気を孕みし、人ならざる少女の形の魔王。

笑い声が、魔に侵された地上に高らかに響いていた。

 魔界から帰り、侵攻に貢献した魔王の器達は民衆より歓迎された。

魔界を蹂躙した、怪物を討伐した英雄たち。

戦争を終結へと導いた、偉大なる者たちを。

人間という一種族の絶滅によって築いた平和を、民衆は享受できると確信を抱いていた。

「姉様っ!」

 城下町の広間に作られた、転移用の大魔法陣から姿を現す、魔王の器達を率いるプエルラ。

プエルラの姿を見るなり、ユンガは瞳を輝かせ、胸に飛びつく。

しかし、返ってきたのは―――。

「どけ、目障りだ」

片手でユンガは振り払われ、勢いのままにユンガは尻もちをついた。

「え……………?」

姉の姿は、黒とも、白ともつかぬオーラに覆われていた。

その時、ユンガは確信した。

―――もう、かつての姉の姿はない、と。

 血だまりの中、ユンガは思い出す。

反転浸食病に侵され、精神を蝕まれた姉の事を。

涙の内に、ユンガは姉に別れを告げた。

 それから、五十万年の時が流れ。

残虐なる魔王は、尚も君臨し続けていた。

邪魔者を滅ぼし、民さえも処刑し続け。

非道の限りを尽くしていた、その時だった。

 城下町から、爆発音が響いた。

玉座から離れ、爆心地へ赴くと―――そこには、銀髪と緑色の瞳を輝かせる、黒外套の魔人がたたずんでいた。

「何者だ、貴様」

剣の雨を展開せんとした時。

 剣が、プエルラの胸を貫いた。

魔人は語る。

「俺は、お前の滅ぼした種族の遺産。お前みたいなのに対する、最終兵器だ」

遠い耳で聞き取ったのは、死刑宣告。

自身の身が、地へ伏すとプエルラは悟る。

己が君臨していた時点で、否、人間の言葉を少しでも聞いていれば―――このような事にはならなかったはずだ。と。

 答えを出すには遅く。

魔界に吹く風が、冷たく孤独なる魔王を撫でる。

なびく、風の音は静寂の――魔界への終曲。

これは、過ちを冒した魔王の――――――物語。

憎悪に、蝕まれた記憶。

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