第一話 プエルラ・テネブリス
プエルラ・テネブリス。
その名は、全てを統べる――魔界の大魔王を意味している。
残酷なる運命に、その身を虐たげられながらも、その全てを跳ねのけ、全てを己の糧とした”最強の魔族”。
そう謳われる、魔王の普段の生活模様を、いまこそ語ろう。
魔界時間、午前九時。
プエルラは、まだ寝床に就いていた。
本来悪魔属であれば、この時間には既に起き、活動してもおかしくない時間である。
「おーきーてくださーい!!!」
プエルラの側では、その弟――ユンガの怒鳴り声が轟いていた。
その声は、寝床から遠い、玄関を警備する兵士――リザードマン達の耳にも届く程。
鼓膜を破壊されてもおかしくない程の声量を耳元にしてなお、プエルラはよだれを垂らし眠り続ける。
眠る姉の姿を見てユンガはため息交じりに揺らし、あるいは再び怒鳴るが効果は無かった。
「あぁもう…………なんで毎日こうなんですか、歳取るごとに目覚めが悪くなってませんか? こんの…………!」
ユンガは呆れ果てた様子で、魔力を込めて指を振る。
すると、寝室の天井に魔法陣が現れ、銀の光線が放たれた。
ユンガが、プエルラの扱う魔術を模倣して作った魔術である。
光線が、プエルラの顔面に当たる瞬間。
「うわああああおはよう!! うん目覚めたぞ余は!!」
叫びながら、プエルラは目覚め瞬時にベッドを軽く叩き、武器の召喚魔術で光線を相殺した。
「おはようございます。なんならこのまま眠っていても良かったんですよ? 僕の仕事が無くなりますので」
「ゆんがよ、よはそんなこというこにそだてたおぼえはないぞ」
発言の裏で完全に、その時姉と弟の立場と権力が逆転していた。
「朝食、できていますよ。食べましょうか」
ユンガの微笑みに、不服気な表情を浮かべた後、プエルラはベッドから降り鏡台の前に座った。
「角を軽く拭き、髪を溶かしたら食そう」
鏡台の櫛を持ち、寝癖で乱れきった髪を流すようにプエルラは直していく。
一通り直し終わると、今度は櫛の隣に折られていた布で角を磨く。
ごしごしと、力強く磨くと白く巨大な角は艶を出していった。
「こんなところか、では食堂に向かおう。ユンガは食べたか?」
欠伸をこらえながら、ユンガに訊ねるとユンガは一礼して答えた。
「僕は最近、朝食を否が応でも食べさせられてるので」
ユンガの発言を聞きながら、転移用の魔法陣に足を踏み入れ返す。
「そうかそうか、できる奥方よな~ではいただこうっと」
足を踏み入れると、プエルラの体は瞬時に消え――その体は城内の食堂へと移った。
魔界時間、九時三〇分。
広く、紫色の炎を灯し、魔界の月をあしらったシャンデリアに照らされた食卓にプエルラは座る。
食卓を彩る大量の、人間のつかうそれに似て非なる食材をふんだんに使った料理たちを前に、プエルラは食を進めていた。
今日のメニューは、クリームゾンカルネーボナーラというカルボナーラに似た料理、レッドボルケイノスープは赤色のカルビスープに似た料理である。
「うんむ! 今回の”クリームゾンカルネーボナーラ”はクリームがしっかりととろりとしておるな! レッドボルケイノスープなどピリリとしてて…………」
プエルラの姿が隠れるほど山盛りにされたカルネーボナーラが瞬時にたった一人の胃袋に収まっていく圧巻の光景。
その様を見て、従者の魔族は解り切った様子で次の皿を運んでいく。
おかわりが来ると、知っているからである。
「もにゃもにゅ……………しかし毎度鍋一杯に作っておけといっておろうに。これでは腹五分目で済んでしまうわ」
プエルラが先程まで運ばれてきた皿を平らげながら言った。
従者の誰もが思わざるを得なかった。
(鍋一杯毎朝作ってもあんたが一瞬で食べきるんでしょうが!!)
不満げに、食した皿を片付けていく従者の様子を前に、プエルラは小首を傾げていた。
魔界時間、一〇時。
プエルラは転移魔術を使い、城を出た。
出向かう先は、自身の領土内の空。
(さて、我が領土内を治めてる魔王の器達から異変が無いか聞いておかねば)
魔王の器達は、現魔王の領土内に領地を持ち、支配しているのである。
その支配領は、魔王の器にもより、最低でも一〇〇〇万平方キロメートル以上は所有している。
故に――現魔王の統制が非常に取り辛く政治の意向が届き難い。
それを解消する為、平時は自身の領地内に居る事を義務付けられている。
(まずは、ベルゼブブの所にでもいくか。それからルシファー。ベリアルの奴は……………どこにいるだろうか)
プエルラは転移魔術を使い、城下町の空から姿を消した。
辿り着いた先は、ベルゼブブの普段いる城の玄関だった。
玄関前には、ベルゼブブ直属の部下である蠅型の悪魔が槍を携えて立っている。
プエルラは蠅型の悪魔を前に大声で名乗りを上げた。
「我が名はプエルラ・テネブリス! ダーク・ベルゼブブに用が有ってここに来た! 通させてもらうぞ!!」
名乗りを上げると、蠅型の悪魔は敬礼を捧げる。
「はっ!」
敬礼すると、扉が開き――洞窟の様な城内の様子がプエルラに見えてきた。
「ご苦労」
プエルラが歩み始めると、床に自身の足音が響く。
「ベル、居るか」
プエルラが呼びかけると、どこからともなく薄暗い闇の中から声が聞こえてきた。
「は~い、いるよ~」
しばらくすると、黒い蠅の大群がプエルラの前に姿を現す。
そして、黒い蠅の大群はやがて人型の形を形成していった。
「プエルラ嬢、ここに来たって事は報告だよね?」
「あぁ、ベルゼブブ領では異変は無かったか? それと、民からの税はどれくらいだ」
プエルラが爪の伸びた人差し指を縦に振ると、魔法陣が出現し、そこから羊皮紙が出てきた。
「特に問題なし、ただ最近ルシファーの領土に近いところで火事があったみたい、なんでも魔術の誤作動だとか。税の額もこの調子でいけば前年通りかな」
ベルの発言を聞き、羊皮紙を魔力で浮かばせながら、プエルラは爪で文字を刻んでいった。
「ふむ、ではしばらく魔術書を作らせ配布しよう。炎と水の方をな。扱い方を直せば誤作動も無いし、水を習えば処理もできるだろう」
「それと、火事にみせかけた放火魔の仕業も無きにしも非ずだろう。朝からずっとだと民もプレッシャーになるだろうから、夜間の警備を厳重にせよ。夜間以外は普段通りで」
プエルラが命令すると、ベルゼブブは胸に手を当て一礼した。
「仰せの通りに~」
プエルラは頷いた。
「こんなところか、ではまた来ようぞ」
プエルラは、指を鳴らし転移した。
次の場所は、ルシファーの城。
絢爛豪華な、羽根を模した彫刻の施された城の門には黒い翼をもつ屈強な堕天使二体が斧を構えて立っていた。
「プエルラ・テネブリスである。ダーク・ルシファーに用がある。会わせろ」
屈強な堕天使が黙って塞いでいた門の前を開けると、同時に門も自動的に開いていった。
「うむ」
門の前の庭園を歩き、玄関の扉を開けると、紅いカーペットの敷かれた、黄金の城内が目に映った。
(くう、金使ってても余の城の広さには敵うまい。よっぽど潤沢な財布事情なようで)
歯ぎしりをしていると、こつこつという、上品な杖と足音が階段の奥から鳴っていく。
「おやおや、もう来る時間だったか。おはようございます、テネブリス嬢」
燕尾服に身を包むルシファーはにこやかにプエルラの前に跪いた。
「儀礼は良い、そちらの領土で異変は?」
「ふむ、異変というとこれと言って特に。あ、強いて言えばこの間反乱分子が湧いていたのでちょっと懲らしめたぐらいでしょうか。炎の魔術で」
プエルラは、確信した。
(あ、これベルの領土も被害喰らってる。これ絶対そうだ)
「それは良い、だが………どこらへんにいたのだ? その反乱分子とやらは」
訊ねると、ルシファーは長い髪を片手で後ろへ流し返答する。
「? 大体ベルゼブブの領土と私の領土の境で一二〇万体程悪魔属が集まってたので、ぽん、と」
「あーーーー、ルシファー領土近くのベルゼブブの領土で火事があったそうだ、つい最近の事なんだが」
プエルラが言うと、ルシファーは何かに気付いたように反応を示した。
「あ、いけない。そういえばあの時結界張るのを忘れていたよ。もしかしてそれで…………?」
瞬間、心の中でプエルラは叫んだ。
(このバ火力ドジ残念イケメン!!!!!)
「申し訳ないね、これは私の責任だ。ベルゼブブとはその件で何か謝罪をしよう」
「う、うむ。その誠意は評価に値する、だが、ルシファーは一週間炎・氷・闇魔術の使用を禁ずる」
「御意」
「それと、我が民のことなのだけどいいかな?」
「許す」
「何故か一定の間隔で反乱分子、テロが湧くので、兵力と支配領全域の警備をもう少し強くしても良いかな?」
「良かろう、別にそなたの事だ。どうせ民の不満などないだろうし、あったとしても大抵こじつけだ。余の憲法に触れなければ好きにするが良い」
(ここまで盛大に金を使えることは、優れた内政、財政を敷いているなによりの証だ、少々妬ましいが流石初代魔王といったところか)
プエルラは、一息のため息をつき――次の場所へ向かった。
次の場所は、荒廃した岩山の目立つ、原初の魔界の風景に近い場所だった。
そこではよだれを垂らした、筋骨隆々の悪魔属達が闊歩し、皆攻撃的な目をあらゆる場所へと向けていた。
さながら、魔界のスラム街といった様子。
(ベリアルの奴ちゃんとしているのだろうか、ここはいつ来てもほぼ無法地帯ではないか)
プエルラが岩山の中でも特に巨大で、きりだった山へ足を踏み入れようとした時。
「ハハハハハ!! 覚悟しやがれ!!!」
豪快な声が、プエルラの上から聞こえてきた。
プエルラは上を見ず、頭上に落ちてくる紫色の稲妻を、瞬時に召喚魔法で呼び出した銀の剣で打ち払った。
「流石に腕と勘は落ちちゃいねぇな。プエルラ嬢ちゃん」
「己ばかりを鍛えた挙句がこのざまか」
プエルラは、地上に降りて髪をかきあげるベリアルを睨みつけた。
鋭い眼光を向けても尚、ベリアルは依然と笑う。
「ガハハハ、何。良い国良い社会良い秩序なんぞ、強い自分らで築き上げるもんだ。だろ?! お前らァ!!」
ベリアルは後ろを向き、大声で言うと筋骨隆々の悪魔達は微笑んで太い腕を上げた。
「「「おう!!」」」
(なにここ原初の悪魔特有のノリしか居ないではないか)
心の中で、プエルラは呆れ果てずにはいられなかった。
「うむ、荒れた環境にすら適応する家臣と民の絆を今垣間見たところで、何か異常は無かったか?」
「そうだな、強いて言えば定期的にルシファーのとこにスパイ送り込んでるくらいか。最近、俺の部下が重傷で入院することが多いもんでな」
頭をかきながら、ベリアルは答えた。
(もしや、ルシファーの言ってた反乱分子って…………)
「ちょっと集まって、ルシファーにちょっかいしかけただけだってのにあいつ……………部下じゃなくて俺の方に直接殴り込みにこいっての」
腕を組みながら言うベリアルに、プエルラは震える声で命じた。
「ダーク・ベリアル……………一年間戦車と軍団の没収を命じる。それと、階級のあるベリアル領所属悪魔属はルシファー領に一年間緊急時以外入国禁止とする。入国したい場合はルシファー城へ届け出を出す様に」
「はぁ!? そりゃねぇぜ俺様の長年の楽しみは……………?!」
「せいぜい毎食のゆで卵と筋トレに励んでいろ。明日ユンガがここに戦車の没収に来る、その後各軍団に異動手配を配布しよう」
「…………よし、なら次のちょっかいかける方法考えねぇとな。お前ら! 会議の時間だ! 集まれ!!」
(これで昔から付いていく悪魔属が居るから不思議なものよな、もしやするとこのカリスマ性と潔いまでの豪放磊落さこそ、魔王の器たらしめるものかもしれぬな)
そんなことをおもいながら、プエルラはその場をあとにした。
このように、悪魔属一体一体の魔王の器達へ命を下し、あるいは報告を聞き――プエルラの一日は過ぎていった。
魔界時間 二三時。
プエルラは大量の羊皮紙を持ち、城へ戻った。
「おかえりなさいませ」
玄関へ歩むと、ユンガが出迎える。
「おぉ、今日も今日とて頼みがある」
プエルラは手に持った大量の羊皮紙の内、半分をユンガに軽々と手渡した。
「まずこれがユンガ絡みの要件だ、これをじっくりと読み込んでおけ。それと、明日の余のスケジュールを書いておいてくれたか?」
羊皮紙の束を手に取り、ユンガは汗を滴らせつつ、答えた。
「はい、書いておきました」
「では、余はこれを処理するのでな」
プエルラは羊皮紙の山を抱えながら行政の間までの階段を歩く。
行政の間につくと、プエルラはすぐさま椅子に着き、羊皮紙に爪を走らせた。
「えと、異文化交流祭の参加…………サイン。兵器演習参加…………サイン」
プエルラの夜はまだ長かった―――。
魔界時間 三時。
「終わった!!!!!!!! やっと眠れる!!」
プエルラは仕事を終え、嬉々として行政の間の隅にある魔法陣に飛び込んだ。
すると、ふかふかとしたベッドの上に放り出される。
久しく恋しい、柔らかな温もりだった。
「やった………………おやしゅm……………zzz」
魔界の月は、魔王を労うように――城の窓から照らしていた。
~おまけあとがき~
「リクエスト、感謝するぞ! 今回の余の日常はいかがだっただろう? 感想をくれるととても励みになるのでな、ぜひいただきたい」
「では、また会おうぞ!」
「………ゆんがぁ、一週間の休暇を与える。だから余も休むぞ~」
「え、ええ………………」
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