デモニルスの遺言書

デモニルスが語りし宿命

 古風の屋敷。

常に雨雲に閉ざされ、誰一人として介入を許さぬかのような雰囲気を醸し出すその館に、彼は居た。

 彼の名は、デモニルス・クロウズ・シャルハルトル。

一時代の名として刻まれる程の、偉業を成し遂げた唯一の魔術師にして学者である。

黒髪に、左右に色の違う赤と黄色の瞳を宿した、彼の居た

彼の功績は、まさしく神の御業に等しいと評されるもので――時空の概念の発見、属性魔術の発見が、主な功績として世に知れ渡っていた。

それだけでなく、十八歳という年齢で適正魔術の診断や魔族の記した脅威度の位を示す書物の翻訳など後世に伝わる博物学の面でも活躍する。

二つ下の妻を迎え、子供にも恵まれ、数々の実績から授与された王宮魔術師学賞、数々の博物学賞と同時に贈られた賞金によって何不自由ない生活を送っていた。

 ところが、デモニルス歴一八七八年、当時二十二歳の事。

突如、自身の館から使用人を含めた一切の人々を出て行かせた。

その時、彼が研究していたのは、魔界と天界、地上界と冥界についてだった。

当時、地上界以外の世界が存在するという情報が無く、人と動物、魚類と昆虫以外の生物は地球以外の星からやってきたと考えられていた。
 
そんな時代に、一八七八年、彼の研究によって魔界と呼ばれるあらゆる魔族の棲む世界と、天界と呼ばれる神々と天使達の世界、冥界と呼ばれる死者と死神の棲む『世界』という概念が確認・公表された。

自ら孤独の道を歩み、屋敷にただ一人の身で。

 地上界以外の世界、『異世界』についての研究を続けていく中で、彼は地上界との文明と種族的な認識、文化の差異によって狂気に蝕まれ――二十五歳でこの世を去ったと言われている。

しかし、デモニルスが後に若くして隠者となった事、己が身を滅ぼしたのにはとある秘密のためであった。

 デモニルス歴一八九五年、五月。

秘密を知った第一人者は、デモニルスの息子、ロクニレセだった。

父の遺産を抱え、使用人と共に屋敷を訪れる。

「ここが、僕の実家――偉大なる父の住まう館か。オドレルゴ、荷物を持ってくれ」

「はい、ただちに」

 ロクニレセが、自身に付き添っている使用人のオドレルゴに向かって荷物の入ったカバンを乱暴に放り投げると、オドレルゴは両手でそれを抱えた。

ロクニレセは、暗雲立ち込める館の門に向かって念じながら掌を掲げる。

すると、館の門はロクニレセの前でゆっくりと開かれた。

ロクニレセの送った魔術に、呼応したのである。

 ロクニレセが館の門を潜り抜け、正面に構える館の玄関に手をかける瞬間、オドレルゴがロクニレセに語り掛ける。

「ロクニレセ様、お父様にお母様が亡くなられたという事は、私から申し上げましょうか? それとも、ロクニレセ様が……」

オドレルゴがロクニレセの顔を伺いつつ訊ねると、ロクニレセは伸ばしかけた手を下ろした。

ロクニレセがため息をつきつつ、傍らに侍るオドレルゴに振り向くと、オドレルゴの顔を見上げる。

見上げる顔は、眉をこわばらせていた。

「オドレルゴ、僕は生まれてこのかた――母を心から愛したことなど一度もない」

語る声色は、憎々し気。

オドレルゴは一礼して、静かに答えた。

「聞こえてしまいますよ、せめてお静かに。しかし、どうお伝えしましょうか」

「こうとでも言っておくよ。“無様に死んだ”ってさ!!」

怒鳴り声を語尾にして、扉を乱暴にロクニレセが開ける。

「えっと………親父ー?」

 扉を開けると共に大声で呼びかけるが、静寂が返ってくるばかり。

 あたり一面に広がったのは、ロクニレセの予想だにしていない光景だった。

館の中は、誇りと蜘蛛の巣にまみれ、かつての黄金の家具や深紅の絨毯の敷かれた絢爛豪華な内装も、もはや輝きを失っていた。

ロクニレセがよく黒ずんだ壁を見渡すと、そこには文字の羅列が一面に刻まれている事に気付く。

(これは……まさか、呪文? 文章の内容からして………封印呪文か? にしても、あの魔術の天才がなんで……)

 ロクニレセの父の体に宿る膨大な魔力量は、魔術師の間で噂になっていた。

それほど膨大な魔力を備えているので、遺憾なくそれを発揮し様々な魔術を行使できた。

魔術を扱うには、強く自身の思い、イメージを魔力によって練り上げ、具現化させる必要がある。

自分の身に備わっている魔力が多ければ多い程――複雑・強大な魔術を多種多様に使えた。

呪文の詠唱は、そのイメージの補助と強化に本来用いられるものである。

デモニルス程の魔術師であれば、如何なる生物も呪文の詠唱無くして封印魔術を扱えた。

 強力な封印魔術を扱う呪文が、デモニルスの屋敷の壁に印されている事。

身の回りで今示されている数々の異常なる光景を目にした、ロクニレセの額は汗を滴らせていた。

 封印魔術の呪文は、ロクニレセの眼には壁一面にでたらめに書かれているかに思われたが、凝視してみると呪文は奥の部屋へと伸びている事が解る。

ロクニレセは、呪文を辿り、歩みを進めて行った。

呪文の内容は、声に出さず――意味を確かめるという意味で、脳内で反芻して読み上げる。

(“我が声に答えたまえ、天上の神々よ、恐るべき魔王よ。我は今一時のみ御身らの下僕とならん)

「……げっ、契約魔術との複合魔術か……しかも相手は人外共の長とって……契約魔術は確かに魔術だとか身体を強化できるけど……下僕って」

それは、多くの魔術師の一端であるロクニレセにとっても、顔を青ざめさせるような内容であり、思わず声をあげた。

呟きに、隣で共に歩んでいたロクニレセが声をかける。

「余程、焦っていたご様子。ロクニレセ様、早急にお父様を探したほうがよろしいかと」

「ええい、呪文の内容全部読み終わったら探すよ」

ロクニレセは、夢中で壁を伝って、屋敷内の部屋という部屋を歩いていった。

床の散らばった何かに、途中途中で歩みを阻まれながら。

(冥府の死司りし神よ、地上に君臨する全ての竜よ、御身らの下僕ともなろう。我が魂を供物として捧げ、我が望みを聞きたまえ。我が身に奇跡を起こしたまえ)

(我が恐れるは世界の破壊。我が懼れるは秩序の崩壊。高次元より迫りくる者共の蹂躙とその末路)

 ロクニレセは、読むうちに――悪寒が背筋を這っている事に気が付く。

それでも、なお壁の読むことを止めず、歩いていく。

自身が、如何なる家具の部屋にいるかも自覚できないままに。

(願わくば、全ての者に救済を。未知なる者より、守りたまえ。我は御身へ全てを捧げる。偉大なる全ての力で以て、守護したまえ。万が一に、我が望み果たされなかったならば、怨霊となりて厭世の限りを尽くさん)

呪文は、どんどんと読み進めて行くと同時に奥へと進むと、自が濃くなっていくと同時にはっきりとした筆跡になる。

読み進めつつ、足を進めて辿りついた先は――書斎だった。

(我が名は、デモニルス・クロウズ・シャルハルトル。はるか未来より、はるか過去より来る禁忌の者らからの世界の守護を懇願する、魔術の王である。我が呪文、我が報せを遺言書とし、ここに封印魔術の完成を誓う”)

 最後の文章まで読み終えると、ロクニレセは、屋敷の中で初めて真正面を向く。

その正面には――焼け焦げた痕の残る椅子があった。

焼け焦げた痕を撫でると、ロクニレセは椅子の先に置かれた机に目をやる。

机の上には、父のものと思しき帳面があった。

ロクニレセは帳面を手に取り、貢をめくると――ロクニレセの全身を、更なる悪寒が襲う。

 そこに書かれていたのは、『禁忌』と呼ばれる――竜や神を超越した、理解不能の、強大なる力を備えた怪物どもの姿と未来に犯す所業の数々だった。

その中には、他次元ごと世界を崩壊させるというものもあり――ロクニレセの脳髄を、退廃への恐怖で満たす。

そして、手記を記したのは一八八〇年だという事がわかった。

「………もしかして、親父はこんなものをまるごと封印してッ――!?」

 ロクニレセの声に、答える者は無く。

しかし、その事実が如実にデモニルスの末路を物語っていた。

「なんと………おいたわしや……」

ロクニレセに付き添っていたオドレルゴが、膝から崩れ落ちる。

 ロクニレセは、汗と振動によっていう事を聞かぬ手を無理矢理動かし、帳面を上着のポケットに入れた。

「……こっ、これを王宮魔術師達に…………つたえなきゃ………」

ロクニレセは、転移魔術を発動させ、その場を後にした――。

 かくして、デモニルスの死と共に、『禁忌』の存在は一部で認められた。

しかし、一部の者以外は――孤独の果てに発狂したデモニルスの見た幻覚を記したものだとして片づけられ、公にはされなかった――。」

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